い出された。
 男の傍《そば》にいる神さんの顔や、部屋の状《さま》が目に見えたりした。

     三

「お増さん、花をひくからお出でなさい。」
 お増が大抵一日入り浸っている向うの家では、お千代婆さんが寂しくなると、入口の方から、そういって声かけた。
 その家では、男の子供の時分の友達であった長男が、遠国の鉱山に勤めていた。小金を持っているお千代婆さんは、今一人の少《わか》い方の子息《むすこ》の教育を監督しながら女中一人をおいて、これという仕事もなしに、気楽に暮していた。
 お増はここへ来てから、台所や買物のことでなにかとお千代婆さんの世話になっていた。髪結の世話をしてもらったり、湯屋へつれていってもらったり、寄席《よせ》へ引っ張られて行ったりなどした。
「何にも知らないものですから、ちと何かを教えてやってください。」
 お増を連れ込んで来た時に、男はそう言ってお千代婆さんに頼んだ。
「浅井さん、あなたそんなことなすっていいんですか。知れたらどうするんです。私までがあなたの奥さんに怨《うら》まれますよ。」
 お千代婆さんは少し強《きつ》いような調子で言った。婆さんは早く良人《おっと
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