体を決めずにいるらしかった。宿屋かお茶屋の仲居でもしているのではないかと思われた。
浅井はその女のことを、時々思い占めていたが、道楽をしだしてから逢ったいろいろの女の印象と一緒に、それも次第に薄れて行った。
十六
浅井は、妻が傍に自分の顔を眺めていることを思うだけでも気窮《きづま》りであったが、細君も手紙などを整理しながら、自分の話に身を入れてもくれない良人の傍に長く坐っていられなかった。
「あの静《しい》ちゃんがね。」
細君は、押入れの手箪笥のなかから、何やら古い書類を引っくら返している良人を眺めながら、痩《や》せた淋しげな襟を掻き合わし掻き合わし、なつかしげな声でまた側へ寄って来た。
「静《しい》ちゃんがね、昨日《きのう》から少し熱が出ているんですがね。」
浅井は押入れの前にしゃがんで、手紙や書類を整理していたが、健かな荒い息が、口髭《くちひげ》を短く刈り込んだ鼻から通っていた。
「熱がある?」
浅井の金縁眼鏡がきらりとこっちを向いたが、子供のことは深くも考えていないらしく、落着きのない目が、じきにまた書類の方へ落ちて行った。
「……急にそんなものを纏《まと
前へ
次へ
全168ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング