座敷などから、そっと口をかけた。浪の音などの聞える船着きの町の遊郭には、入口の薄暗い土間に水浅黄色の暖簾《のれん》のかかった、古びた大きい妓楼《ぎろう》が、幾十軒となく立ちならんでいた。上方風の小意気な鮨屋《すしや》があったり、柘榴口《ざくろぐち》のある綺麗な湯屋があったりした。廓《くるわ》の真中に植わった柳に芽が吹き出す雪解けの時分から、黝《くろ》い板廂《いたびさし》に霙《みぞれ》などのびしょびしょ降る十一月のころまでを、お増はその家で過した。町に風評《うわさ》が立って、そこにいられなくなったお増は、東京へ移ってからも、男のことを忘れずにいた。そこのお神に据わる時のある自分をも、長いあいだ心に描いていた。男からも、時々手紙が来た。
「この人が死んじゃったんじゃしようがない。」
 三年ほど前に、男の亡《な》くなったことが、お増の耳へ伝わった時、それがにわかに空頼《そらだの》めとなったのに、力を落した。お増はまた、通って来る客のなかから、男を択《えら》ばなければならなかったが、その男は容易に見つからなかった。長いあいだには、いろいろの男がそこへ通って来た。こっちでよいと思う男は、先で思っ
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