も出しゃしなかったの。」
「つまらないじゃありませんか。」
「しかたがない。私にそれだけの運がないんだから。」
「ちっとお金の無心でもしたらいいじゃないの。」
「どうして、奥さんが大変な剛毅《しっかり》ものだとさ。」

     八

「随分|諦《あきら》めがいいわねえ。」
 お増は、自分にもそれと同じような記憶が、新たに胸に喚《よ》び起された。まだ東京へ出ない前に、しばらくいたことのある田舎の町のお茶屋の若旦那と自分との間の関係などが思い浮べられた。その時分のお増はまだ若かった。写真などに残っている、そのころのお増の張りのある目や、むっつり肉をもった頬や口元には、美しい血が漲《みなぎ》っていた。
 コートなどを着込んで、襟捲きで鼻のあたりまでつつんだ、きりりとした顔や、小柄な体には、何でもやり通すという意気と負けじ魂があった。
 お増の田舎では、縹緻《きりょう》のよい女は、ほとんど誰でもすることになっている茶屋奉公に、お増もやられた。百姓家に育ったお増は、それまで子守児《こもりこ》などをして、苦労の多い日を暮して来た。
 やっと中学を出たばかりの、そのお茶屋の若旦那は、時々よその貸し
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