がら言い出した。膳や銚子などが、そこに散らかったままであった。
「あなたから、あの人の気をよく聴いて頂戴よ、私には何にも言いませんよ。」
浅井は座蒲団のうえに、ぐったり横になって、目を瞑《つぶ》っていた。電気の火影が、酔いのひいたようなその額を、しらしらと照していた。
「まあいい。羽織をおだし。」
などと、浅井はむっくり起き上ると、帯のあいだから時計を出して見た。
「お前から、ようくそう言っておおき。私が今口を出すとこじゃない。」
浅井はそう言いながら、茶を飲んでいた。
「もうどうでもいい。」
素直らしく浅井を送り出してから、お増はむしゃくしゃしたように、座敷へ来て坐った。
六十
内輪だけの式を挙げるというその当日には媒介役《なこうどやく》のその世話人夫婦と一緒に、お増夫婦もついて行った。
五台の腕車《くるま》が、浅井の家を出たのは、午後五時ごろであった。島田に結って、白襟に三枚襲《さんまいがさね》を着飾ったお今の、濃い化粧をした、ぽっちゃりした顔が、黄昏時《たそがれどき》の薄闇《うすやみ》のなかに、幌《ほろ》の隙間から、微白《ほのじろ》く見られた。その後から
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