空風《からかぜ》がおそろしいようであった。先刻《さっき》まで被《き》ていた掻捲きなどの、そのままそこに束《つく》ねられた部屋の空気も、厭《いと》わしく思えて来た。
「私もそこまで出ましょうかしら。」
お今も、今まで二人で籠っていた部屋に、一人残されるのが不安であった。
「ねえ、いけないこと?」
お今は甘えるようにそういって、鏡の前で髪などを直していた。弄《もてあそ》ばれた自分の感情に対する腹立たしさと恥とを、押し包んででもいるような、いじらしいその横顔を、浅井は惨酷らしい目でじっと、眺めていた。
「お別れに一度どこかへ行こうかね。」
浅井は先刻《さっき》そういって、その時の興味でお今を唆《そそ》ったのであったが、お今は躊躇《ちゅうちょ》しているらしく、紅《あか》い顔をして、うつむいていたのであった。
「どこへ行くね。」
浅井は調子づいたような女に、興のさめた顔をして訊いたが、淡いもの足りなさが、心に沁み出していた。
「どこでもいいわ、私まだ見ないところが、たくさんあるから。」
「婚礼がすんだら、方々室さんに連れて行ってもらうといい。」
「それはそうだけれど、その前に……。」
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