しく買ったら、それをあなたにあげますがね、当分それで間に合わしておおきなさいよ。鏡立《かがみた》てがあればたくさんですよ。」
お増はそう言って、長火鉢の傍で莨を喫《ふか》していたが、お今の執念が絡《まつ》わり着いているようで、厭であった。
いつまでも自分の部屋で、何かごそごそしていたお今は、やがて人顔の見えなくなったころに、すごすごと家を出た。
「静《しい》ちゃん、さよなら。」
お今は荷物などを作る自分の傍に、始終着き絡《まと》って離れなかった静子に声かけながら、門《かど》を離れて行った。
その翌日朝早く、お今は何やら忘れものをしたとか言って入って来ると、自分の居馴れた部屋の押入れなどを、そっちこっち掻き廻していたが、お増は黙って見ていた。
「今のうちなら、幾度来たってかまやしないけれど、旦那が帰ってからはいけませんよ。」
お増は駄目を押すように言って聴かせた。
「ええ、大丈夫来やしませんとも。」
お今は昨宵《ゆうべ》一晩自分の身のうえなどを考えて、おちおち眠られもしなかった体の疲れが、白粉を塗った、荒れた顔の地肌にも現われていた。目のうちも曇《うる》んでいた。朝の夙《はや
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