はなしに話に耽って、二階へあがって臥床《ふしど》を延べたのは、もう二時過ぎであった。不安と恐怖とに、幻のような短い半夜があけた。
 秘密の機会が、浅井によって二度も三度も作られた。
 病人の枕頭《まくらもと》などで、おそろしいお増の顔と面と、向き合っている時ですら、お今はやるせない思いに、胸を唆《そそ》られるのであった。甘えるような驕慢《おごり》と、放縦な情欲とが、次第に無恥な自分を、お増の前にも突きつけるようになった。
 お増は楊枝《ようじ》や粉を、自身浅井にあてがってから、銅壺《どうこ》から微温湯《ぬるまゆ》を汲んだ金盥《かなだらい》や、石鹸箱などを、硝子戸の外の縁側へ持って行った。庭には椿も大半|錆色《さびいろ》に腐って、初夏らしい日影が、楓《かえで》などの若葉にそそいでいた。どこからか緩いよその時計の音が聞えて来た。
 朝飯のときも、お増はぴったり浅井の傍に坐って、給仕をしていた。そして浅井が何か言いかけると、「ハア、ハア。」と、行儀よく応答《うけこたえ》をしていた。毛に癖のない頭髪《あたま》が綺麗に撫《な》でつけられて、水色の手絡《てがら》が浅黒いその顔を、際立って意気に見せ
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