立っては髪を気にしたり、白粉を塗ったりしていた。
 いつも気のそわそわしているお今は、今朝は筋肉などの硬張《こわば》った顔に、活き活きした表情の影さえ見られず、お増などに対する口も重かった。昨夜《ゆうべ》お増夫婦の言争いが募って、浅井が二階へあがってからも、自分に機嫌の悪かったお増が、とげとげした調子で二階へあがって行くまで、猫板のところに投《ほう》り出されてあった、自分の貰いにくくなって辞退した指環の、どこか姿を隠してしまったことや、夫婦の争いの鎮《しず》まったひっそりした夜更《よふ》けの二階のさまなどが、眠られない頭脳《あたま》を掻《か》き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》るように苛立《いらだ》たせて、腹立たしさと悲しさとに、びっしょり枕紙を濡らしていたくらいであった。
 しっとりとした雨のふるある晩に、病院か、さもなければいつもの馴染みの何子とかいう芸者のところだとばかり思っていた浅井の、表の戸をさしてしまった夜中過ぎに、酒に酔って帰って来たときのことなどが、お今の目に、まざまざと、浮んで来た。あわてて火を起したり湯を沸かしたりする自分の傍にいる浅井と、いつと
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