一人で焦燥《やきもき》したってしようがありゃしない。」
お増の調子がやや高くはずんで来た。
「莫迦いえ。誰のお蔭で、お前は着物なぞ満足に着られるとおもう。外で遊ぼうが何しようが、お前に不足いわれるような、無責任なことはしていないぞ。」
気優しい浅井にしては、珍しいような言《ことば》が口から出た。
お今はことりとも音のしない、台所でそれを聞いていた。
四十七
翌朝《あした》になると、お増は毎朝お今のすることに決まっている浅井のお膳拵えなどを、自分の手に一つに引き取って、さも自信のありそうな様子で、こまこまと立ち働くのであった。漬物の切り方や、盛り方などにも、自分の方が、長いあいだ気心を知っている浅井の気分に、しっくり適《あ》うところがあるように思えた。
「お早うございます。」
お増はお今の前を、わざと生真面目《きまじめ》な顔をして、あらたまったような挨拶を、良人にして見せた。浅井がちょうど二階から下りて来たのであった。病院以来、めっきり気分のだらけて来たお今は、まだ目蓋《まぶた》などの脹《は》れぼったい、眠いような顔をして、茶の室《ま》の薄暗いところにある鏡の前へ
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