、まだ三十にならないんですからね。」
お増はそこを出たとき、浅井に話しかけた。
四十四
ふとした感冒《かぜ》から、かなり手重い肺炎を惹き起した静子が、同じ区内のある小児科の病院へ入れられてから、お増はほとんど毎日そこに詰めきっていなければならなかった。
会社へ出ていても、静子の病気の始終心にかかっている浅井は、ろくろく仕事も手につかぬほど気分に落着きがなかった。少し緩《ゆる》んで来た寒気が、また後戻《あともど》りをして春らしい軟かみと生気とを齎《もたら》して来た桜の枝が、とげとげしい余寒の風に戦《おのの》くような日が、幾日も続いた。病室のなかには、かけ詰めにかけておく吸入器から噴き出される霧が、白い天井や曇った硝子窓《ガラスまど》に棚引《たなび》いて、毛布や蒲団が、いつもじめじめしていた。
途中で翫具《おもちゃ》などを買って来ることを怠らない浅井は、半日の余も、高い熱のために、うとうとと昏睡《こんすい》状態に陥っている病人の番をしながら、病室に寝たり起きたりしているようなことが多かったが、静子はぜいぜい苦しい呼吸遣《いきづか》いをしながら、顔や髪に、細かい水滴《し
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