た。
「それじゃやっぱり駄目だ。金を費《つか》うからこそ面白いんだ。」
 客に接したり、手紙の返辞を書いたりしていると、じきに昼になった。紛糾《こぐらか》った事務に没頭した彼の忙しい心に、時々お今のことが浮んだ。隔たってからの少女から、どんな手紙が書かれるかが、待ち遠しいようであったが、仮に女を自分のものにしてしまってからの、内外の事件の煩わしさが、今から想像できるようであった。
 四時ごろに、会社を出て行った浅井と、一人の友達の姿が、じきにそこからほど近い、とある新道のなかへ入って行った。隘《せま》いその横町には、こまごました食物屋が、両側に軒を並べていた。やがて二人は、浅井が行きつけの小じんまりした一軒の料理屋の上り口に靴をぬぐと、堅い身装《みなり》をした女に案内されて、しゃれた二階の小室《こま》へ通った。
 箸と猪口《ちょく》の載った会席膳が、じきに二人の前におかれて、気づまりなほど行儀のいい女が、酒のお酌をした。ほどのいい軽い洒落《しゃれ》などを口にしながら、二人はちびちび飲みはじめたが、会社の重役や、理事の風評《うわさ》なども話題に上った。女遊びの話も、酒の興を添えていた。

前へ 次へ
全168ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング