のであった。
「私今度出て来たら、またこっちへ来てもいいでしょうか。」
 お今はふと想い出したように頭を抬《あ》げた。
「いいとも。」
 浅井は頷《うなず》いて見せたが、女を別のところに置いてみたいような秘密の願いが、新しく心に湧《わ》いていた。
「しかし十分お今ちゃんの力になろうというには、ここでは都合がわるいかも知れない。」
 浅井は女を煽動《せんどう》するような、危険な自分の好奇心を感じながら言った。
 静子の後向きになって、人形に着物を着せたり脱がしたりしている姿が、しんとした部屋の襖《ふすま》の蔭から見られた。その目が、時々こっちを振り顧《かえ》った。
 野菜ものを買いに出て来た婆やと、病院から帰ったお増とが、ちょうど一緒であった。
 翌朝《あした》お今のたつ時、浅井は二階の寝室《ねま》でまだ寝ていた。階下《した》のごたごたする様子が、うとうとしている耳へ、伝わって来た。
 やがてお今があがって来て、枕頭《まくらもと》へ旅立ちの姿を現わした。
「それではちょっと帰ってまいります。」
 そこへ手をついてお今があらたまった挨拶をした。

     三十八

 お今を還《かえ》して
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