ないのであつた。そしてそれを譲りうける人は、早く家庭に閉籠《とぢこも》るべき気分を、醸生されてゐた。軍人とはいへ、養嗣子の分担は何か事務的な仕事らしく思へた。
 兄の方は別に精進《しやうじん》料理なので、この晩餐の団欒《まどゐ》には加はらなかつた。嬉しさうに、時々顔を出した。今度私が来た目的の半ばは、一層寂しくなつたこの兄を見舞ふことにもあつた。私は兄に万一のことがあつたら、早速駈けつけるとの嫂の希望に予約をしたが、それが誰の身のうへになるかは、誰にも判らなかつた。孰《いづ》れにしても、私達四人――大阪の嫂をも入れて――がその間近まで歩み寄つてゐることは確実であつた。でも兄は私より一まはり上であつた。
 食事がすむと、私達は茶の間へ引退《ひきさが》つて、お茶を呑みながら、閑散な話を交へた。私は姉の法事に強《た》つて招かれてゐたので、さうすると間《あひだ》二日をこゝに過さなければならなかつた。
「温泉へでも行かうか。」
 私はそんなことを考へてみたが、昨日家を立ちがけに、余儀ない人から金を借りられたので、私の懐ろはそれだけ不足してゐた。でなくとも、温泉情緒などは、私の環境からは既にこの上
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