て、頭髪《あたま》を撫でたり、帯を気にしたりしながら、母親の働く手元を眺めていたが、やがて奥へ引っ込んで、店口へ出て見たり、茶の間のなかを歩いて見たりした。部屋には、東京で世帯を持った時、父親が小マメに買い集めた道具などがきちんと片着いて、父親が蒲団《ふとん》の端から大きい足を踏み出しながら、安火《あんか》に寝ていた。父親は何もすることなしに、毎日毎日こうしてだらけたような生活に浸っていた。皮膚に斑点《しみ》の出た大きい顔が、脹《むく》んでいるようにも思えた。
 お庄は家が淋しくなると、賑やかな大通りの方へ出て行った。羽衣町《はごろもちょう》に薬屋を出している叔父の家へも遊びに行った。
 叔母はその父親が、長いあいだある仏蘭西人《フランスじん》のコックをして貯えた財産で有福に暮していた。その外人のことを、お庄はよく叔母から聞かされたが、屋敷へ連れられて行ったこともあった。叔母は主人のいない時に、綺麗なその部屋部屋へ入れて見せた。食堂の棚から、銀の匙《さじ》や、金の食塩壺、見事なコーヒ茶碗なども出して見せた。錠を卸《おろ》してある寝室へ入って、深々した軟かい、二人寝の寝台の上へも臥《ね》かされた。よく薬種屋の方へ遊びに来ている、お島さんという神奈川在|産《うま》れの丸い顔の女が、この外人の洋妾《らしゃめん》であった。
「ここへ、あの人たちが寝るのさ。」と、色気のない叔母は、寝台に倚《よ》っかかっていながら笑った。
 お庄は目のさめるような色の鮮やかな蒲団や、四周《あたり》の装飾に見惚《みと》れながら、長くそこに横たわっていられなかった。湯島の下宿の二階で、女中に見せられた、暗い部屋のなかの赤い毛布の色が浮んだ。
 淡紅《うすあか》い顔をしたその西洋人が帰って来ると、お島さんもどこからか現われて来て、自堕落《じだらく》な懶《だる》い風をしながら、コーヒを運びなどしていた。
 この叔母が飲んだくれの叔父に、財産を減らされて行きながら、やはり思い断《き》ることの出来ない様子や、そのまた叔父に、父親が次ぎ次ぎに金を出し出ししてもらってる事情が、お庄にも見え透いていた。

     十四

 父親は時々、この叔母の所有に係《かか》る貸家の世話や家賃の取立て、叔母の代のや、父親から持越しの貸金の催促――そんなようなことに口を利いたり、相談相手になったりした。田舎にいたおり、村の出入りを扱うことの巧《うま》かった父親は、自家《うち》の始末より、大きな家の世話役として役に立つ方であった。
 叔母は手箪笥《てだんす》や手文庫の底から見つけた古い証文や新しい書附けのようなものを父親の前に並べて、「何だか、これもちょっと見て下さいな。」と、むっちり肉づいた手に皺《しわ》を熨《の》した。
「うっかりあの人に見せられないような物ばかりでね。」と、叔母は道楽ものの亭主を恐れていたが、義兄《あに》の懐へ吸い込まれて行く高も少くなかった。
 店の品物が、だんだん棚曝《たなざら》しになったころには、父親と叔母との間も、初めのようにはなかった。叔母が世話をしてくれたある生糸商店の方の口も、自分の職業となると、長くは続かなかった。
「堅くさえしていてくれれば、なかなか役に立つ人なんだけれど、どうもあの人も堅気の商人向きでないようでね。」と、叔母はしまいかけてある店頭《みせさき》へ来て、不幸なその嫂《あによめ》に話した。
 父親は、その姿を見ると、煙草入れを腰にさして、ふいと表へ出て行った。店には品物といっては、もう何ほどもなかった。雑作の買い手もついてしまったあとで、母親は奥でいろいろのものを始末していた。横浜へ来てから、さんざん着きってしまった子供の衣類や、古片《ふるぎれ》、我楽多《がらくた》のような物がまた一《ひ》ト梱《こおり》も二タ梱も殖えた。初めて東京へ来るとき、東京で流行《はや》らないような手縞の着物を残らず売り払って来てから、不断《ふだん》着せるものに不自由したことが、ひどく頭脳《あたま》に滲《し》み込んでいた。
「東京の方が思わしくなかったら、また出てお出でなさいよ。」
 叔母は襤褸片《ぼろぎれ》や、風呂敷包みの取り散らかった部屋のなかに坐って、黒繻子の帯の間から、餞別に何やら紙に包んだものを取り出して、子供に渡したり、水引きをかけた有片《ありきれ》を、火鉢の傍に置いたりした。
「さんざお世話になって、またそんな物をお貰い申しちゃ済みましねえ。」
 母親はそれを瞶《みつ》めていながら、押し返すようにした。
「お庄ちゃんか正ちゃんか、どっちか一人おいて行けばいいのにね。」と、叔母は子供たちの顔を眺めた。
「田舎において来たつもりで、お庄ちゃんを私に預けておおきなさい。ろくなお世話も出来やしないけれど、どこかいいところへ異人館へ小間使いにやっておけば、運がよければ主人に気に入って、西洋《むこう》へでも連れて行かないものとも限らない。そして真面目に働きさえすれア、お金もうんと出来るし、見られないところを方々見てあるいて、おまけに学問まで仕込んでくれるんだからありがたいじゃないかね。」
 叔母はそんな人の例を一つ二つ挙《あ》げた。帰朝してから横浜で女学校の教師に出世した女や、溜《た》めて来た金を持って田舎へ引っ込んで、いい養子を貰った女などがそれであった。母親はそういう気にもなれなかった。叔母が亭主と一緒に洋食を食ったり、洋酒を飲んだりするのすら、見ていて不思議のようであった。
「まア、もう少し大きくでもなりますれアまた……。」と、重い口を利《き》いた。
「義兄《にい》さんも思いきって、正ちゃんをくれるといいんだがね。」叔母は色白の、体つきのすンなりした正雄に目を注いだ。
 母親はこの子は手放したくなかった。
「何なら定吉の方を貰っておもらい申したいっていうこンだで……。」と、母親は、赧《あか》らんだような顔をしながら、莨《たばこ》を吸い着けて義妹《いもうと》に渡した。
 お庄は傍に坐って、二人の談《はなし》に注意ぶかい耳を傾けていた。

     十五

 お庄は母親と、また湯島の下宿に寄食《かか》っていた。正雄は、横浜から来るとじきに築地の方にいる母方の叔父の家に引き取られるし、妹は田舎で開業した菊太郎の方へ連れられて行った。次の弟は横浜の薬種屋の方に残して来た。
「男の子一人だけは、どうにかものにしなくちゃア。」と、叔父は、姉婿が壊《くず》れた家を支えかねて、金を拵えにと言って、田舎へ逃げ出してから、下宿の方へ来てその姉に話した。
 その叔父は夙《はや》くから村を出て、田舎の町や東京で、長いあいだ書生生活を続けて来た。勤めていた石川島の方の会社で、いくらか信用ができて株などに手を出していたが、頚《くび》に白羽二重《しろはぶたえ》を捲きつけて、折り鞄を提げ、爪皮《つまかわ》のかかった日和下駄《ひよりげた》をはいて、たまには下宿へもやって来るのを、お庄もちょいちょい見かけた。肩つきのほっそりしたこの叔父と、頚《くび》の短い母親とが、お庄には同胞《きょうだい》のようにも思えなかった。
「小崎の迹取《あとと》りはお前だに、皆を引き取ればよい。この節は大分株で儲《もう》けるというじゃないか。」下宿の主婦《あるじ》は叔父を揶揄《からか》うように言ったが、叔父は取り澄ました風をして莨を喫《ふか》しながら、ただ笑っていた。
 それから二、三日|経《た》ってから、ある晩方母親は正雄をつれて行ったが、一人で外へ出たことのないお庄も一緒に家を出た。
 そのころ引っ越した築地の家の様子は、お庄の目にも綺麗であった。三味線や月琴《げっきん》が茶の間の火鉢のところの壁にかかっている、そこから見える座敷の方には、暮に取りかえたばかりの畳が青々していた。その飾りつけも町屋風《まちやふう》で、新しい箪笥の上に、箱に入った人形や羽子板や鏡台が飾ってあり、その前に裁物板《たちものいた》や、敷紙などが置いてあった。
 田舎の町で、叔父が教師をしていた若い時分に、そこの商家から迎えたという妻は、堅気な風をして大柄の無愛想な女であった。
「私のところも、入る割りには交際は多いもんでね、せっかく正ちゃんをお引き受け申しても、お世話が出来ることやら出来ぬことやら、……。」と、叔母は茶箪笥のなかから、皮の干からびたような最中《もなか》に、気取った箸をつけて出してくれた。
「それに女のお児《こ》だと、また始末がようござんすがね、お庄ちゃんも浅草の方へお出でなさるんだとかでね……。」
「どうでござんすか。あすこも出て来たきり、庄《これ》が厭がるもんだで、一向|音沙汰《おとさた》なしで……。」と、母親は四つになった末の弟とお庄との間に坐って、口不調法に挨拶していた。
 母親は病身な正雄の小さい時分のことや、食事の細いこと、気の弱いことなどを、弟嫁に話しかけていたが、子供を持ったことのない叔母には、その気持の受け取れようがなかった。お庄は骨張ったようなその大きな顔を、時々じろじろと眺めていた。
 母親は四つになる末の子を負《おぶ》いかけては、取りつきかかる正雄の顔を見ていた。
 やがてお庄は足の遅い母親を急《せ》き立てるようにして、道を歩いていた。
 母親は下宿にいても、何も手に着かないことが多かった。父親が妻子をここへあずけて田舎へ立ってから、もう一ト月の余にもなった。
「それでも為さあは田舎で何をしているだか、また方々酒でも飲んであるいて、こっちのことは忘れているずら。書けねえ手じゃなし、お安さあもぼんやりしていないで、手紙を一本本家の方へ出して見たらどうだえ。」
 主婦《あるじ》はランプの蔭で、ほどきものをしながら齲歯《むしば》を気にしている母親を小突いた。お庄は火鉢の傍で、宵《よい》の口から主婦の肩をたたいていた。お庄は時々疲れた手を休めて、台所の方で悪戯《わるさ》をしながら、こっちへ手招ぎしている繁三の方を見ていた。
 繁三は河童《かっぱ》のような目をぎろぎろさせながら、戸棚へ掻《か》い上って、砂糖壺のなかへ手を突っ込んでいた。
「あらア、おばさん繁ちゃんが……。」お庄は蓮葉《はすは》な大声を出した。
 繁三はどたんと戸棚から飛び下りると、目を剥《む》き出して睨《にら》めた。

     十六

 田舎から上って来た身内の人の口から父親の消息がこの家へも伝わって来た。
 その人は母方の身続きで、下宿の主婦《あるじ》とは従兄弟《いとこ》同志であった。村では村長をしていて、赤十字の大会などがあると花見がてらにきっと上って来た。田舎で春から開業している菊太郎の評判などを、小父《おじ》が長い胡麻塩《ごましお》の顎鬚《あごひげ》を仕扱《しご》きながら従姉《いとこ》に話して聞かせた。
「為さあも、油屋の帳場に脂下《やにさが》っているそうだで、まア当分東京へも出て来まい。」小父は笑いながら話した。
 お庄は母親の蔭の方に坐っていて、柱も天井も黝《くろず》んだ、その油屋という暗い大きな宿屋の荒れたさまを目に浮べた。そこは繭買《まゆか》いなどの来て泊るところで、養蚕期になるとその家でも蚕を飼っていた。主《あるじ》は寡婦《やもめ》で、父親は田舎にいる時分からちょいちょいそこへ入り込んでいた。お庄の家とはいくらか血も続いていた。
 母親は齲歯《むしば》の痛痒《いたがゆ》く腐ったような肉を吸いながら、人事《ひとごと》のように聞いていた。
「それ、そんなこンだろうと思ったい。」と、主婦《あるじ》は吐き出すような調子で言った。
「あすこも近年は料理屋みたいな風になってしまって、ベンベコ三味線も鳴れア、白粉を塗った女もあるせえ。」
「いっそもう、そこへ居坐って出て来なけアいい。」母親も鼻で笑った。
「出て来なけアどうするえ。稚《ちいさ》いものがいちゃ働くことも出来まいが……。」
 小父は主婦とお庄とをつれて、晩方から寄席《よせ》へ行って、帰りに近所の天麩羅屋《てんぷらや》で酒を飲んだ。
「小崎の姉さまも一ト晩どうだね。」と、田舎の小父は大きな帽子のついた、帯のある鳶《とんび》を着ながら、書類の入った折り鞄を箪笥の
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