この家へ、糺や繁三と一緒に、正月カルタを取りに行った時、女はしみじみした調子でお庄に縁談を勧めた。
「どこか堅いところへ速くお片着きなさい。やっぱり商売屋がいいんですよ。商いは何といっても強《つよ》ござんすからね。」
女は父親の死ぬ間際に、質に入っている着物が出せなくて、見舞いに来ることも出来ずにいた時の切なかったことなどを、また新しく語りだした。昼間うるさく借金取りに襲われる画家は、夜戸締りをしてから、やっと落ち着いて画板に向うことが出来た。幾晩もかかってその絵が出来揚ってから、久しぶりでようやく父親を見舞ったころには、病勢がもうよほど進んでいた。女の体は、それきり実家に押えられてしまった。
眼鏡屋の話は、その晩も母子の口から言い出された。そこはかなりに古い店で、財産と言うほどのものもないけれど、子息《むすこ》は小さい時から大事にして育ててあったから、世間摺れのしているようなこともないし、母親は少しは芸事なども出来て、気爽《きさく》な女だから、そんなに窮屈な家ではなかろうということであった。
磯野との関係を深くも知らないこの母子の前で、お庄は応答《うけこたえ》のしようもなかった。纏《まと》まって何一つ|躾《しつ》けられたことのない体で、そんな母子のなかへ入って、日が暮せそうにも思えなかった。
その子息《むすこ》が、遊びに来ている時、お庄は迎えを受けて、湯島の伯母に連れられてしょうことなしに出て行った。
「あらたまった姿《なり》をして行くには及ばんで、羽織でも一枚上へ引っ被《か》けて……。」と、母親と二人、支度でごたごたしている奥の方へ伯母が声をかけた。
子息《むすこ》は茶の室《ま》の火鉢のところに坐って、老母《としより》と茶を呑んでいた。撫《な》で肩の男の後姿が、上り口の障子の腰硝子から覗くお庄の目についた。同時に振り顧った男ののっぺりした色白の細面《ほそおもて》も、ちらと目に入った。
裏口の方へ廻されたが、お庄はそこからも入り得ずにやがて逃げて帰った。
六十八
春の末に郊外のある町へ片づいて行くまで、お庄は家にぶらぶらしていた。
その町は飯田町《いいだまち》から汽車で行って、一時間ばかりの道程《みちのり》であった。家は古い料理屋で、東京から西新井《にしあらい》の薬師やお祖師様へ参詣《さんけい》する人たちの立ち寄って飲食する場所であったが、土地の客も少くなかった。中野の方の電信隊へ勤める将校連も、時々来ては騒いだ。
四ツ谷に縁づいている父方の従姉《あね》の家へ出入りしている男が、その家をよく知っていたところから、大蔵省へ出ている従姉《あね》の良人と叔父との間にそんな話が纏まることになった。
それまでに、お庄は二度も三度も四ツ谷の従姉《あね》の家へ遊びにやらされた。従姉《あね》の家とは長いあいだ打ち絶えていた。互に居所も知らずにいたのが、この三月ごろ田舎から出て来た人の口から、ふとその消息を聴くことが出来た。古いころの早稲田を出たというその良人の浅山は、ある会社の外国支店長をしている自分の姉の添合《つれあ》いの家宅《やしき》の門内にある小さい家に住まっていた。家には、幼い時に二度逢ったきりで、顔も覚えていない従姉《あね》の母親も一緒にいた。
媒介人《なこうど》はそこでお庄を見てから、思いついて双方へ口を利くことになった。
先方の家の母親だという、四十四、五の女が、媒介人《なこうど》と一緒にお庄を見に来たとき、お庄は浅山の晩酌の世話をしていた。下《しも》の病気で始終悩まされていた従姉《あね》は、頭が痛むと言って奥で臥《ふ》せっていた。
むかし品川で芸者をしていたとかいうその母親は、体の小肥《ぶと》りに肥った、目容《めつき》に愛嬌《あいきょう》のある鼻の低い婆さんであった。半衿のかかった軟かい着物のうえに、小紋の羽織などを抜き衣紋《えもん》にして、浅山が差してくれる猪口を両手に受けなどして、お庄にもお愛想を言っていた。
お庄も酒の酌をしながら、この婆さんの気質を知ろうとして、時々顔色を見ていた。
「家は別にむずかしいことはございません。お爺さんはもうごく気のいい人ですし、私もこれっきりの人間なのですから、ただ子息《むすこ》のお守りをしてもらいさえすればそれでいいのです。」と、母親は帰りがけに、ずっと打ち釈《と》けたような調子で、猪口を浅山にさしながら言った。
少年のような顔をした浅山は、ぐずりぐずりした調子で、媒介人《なこうど》とこの婆さんとを相手に、ちびちびいつまでも後を引いていた。そして時々お庄の失笑《ふきだ》すような笑談口《じょうだんぐち》を利いた。お庄は奥の方へ逃げ込んで行った。
母親の話では、嫁がうまく落ち着いてくれて、銭遣いの荒い子息《むすこ》がそれで締ってくれさえすれば、自分ら夫婦は早晩商売を若夫婦に譲り渡して、この春建てた裏の離房《はなれ》へ別居してしまいたいということであった。自分が来て世話を焼くようになってから、メキメキ商売が繁昌《はんじょう》するようになったという自慢話も出ていた。
婆さんが媒介人《なこうど》と一緒に、いい機嫌で帰って行ってから、従姉《あね》は鬱陶《うっとう》しい顔をして、茶の室《ま》へ出て来た。浅山は手酌で、まだそこに飲んでいた。
「どうだお庄さん行って見るかね。己《おれ》のような安官員のところなぞへ行って、年中ぴいぴいしてるよりか、どのくらい気が利いているか知れないよ。」浅山は景気づいて言い出した。浅山がなにかにつけて、始終|実姉《あね》の家の厄介《やっかい》になっていることは、お庄も従姉《あね》の愚痴談《ぐちばなし》で知っていた。
「腰弁当こそ駄目よ。」と、従姉《あね》もそうけ立った頭髪《あたま》を押えながら呟いた。
「お庄の前祝いに、私も一つ頂きましょうかね。」と、酒ずきな伯母が傍から浅山に猪口を催促した。
お庄は伯母にも愛想よく酌をしてやったが、まだそこまで気が進んでいなかった。
六十九
婚礼の日にも、お庄は母親と一緒に、昼間から従姉《あね》の家に行っていて、そこから媒介人《なこうど》夫婦と浅山夫婦とが附いて行くことになった。
四ツ谷から汽車に乗ったのは、その日の夕暮れであった。線路沿いの濠端《ほりばた》には葉桜ばかりが残っていて、暗い客車の窓には若葉の影が流れた。お庄はもうそんな時節かと思って、初めてそこらを見廻した。先が急いでいたのに叔父の手もとが苦しく、持っている物も、その日の間に合わすことも出来なかった。じみな色合いの紋附の上に、衿の型の少し古くなったコートを着て、手に指環一つないのが心淋しかった。
お庄は二、三日前に受け取った磯野の手紙のことなどを想い出していた。その手紙には磯野から折れてこの間のことを詫びた文句などが書いてあった。磯野が後悔していることは、その手紙でも解ったが、そんなことは他の女に対しても、これまでないことではなかった。お庄は体が忙《せわ》しかったので、その返辞を書く隙《ひま》すらなかった。これぎり手紙のやり取りをする時がありそうにも思えなかった。
停車場へ着くと、提灯《ちょうちん》を持った男が十人余り出迎えていた。法被《はつぴ》を着た男や、縞《しま》の羽織に尻端折《しりはしょ》りをして、靴をはいた男などがいた。中には羽織袴《はおりはかま》の人もあった。
「どうも御苦労さまで……。」という挨拶が、双方から取り交された。
その家は停車場から五、六町も隔たった通りにあった。暗い町中にはところどころに人立ちがしていた。広い空地に集《つど》うている子守の哀れな声で謳《うた》う唄《うた》の節が、胸に染みるようであった。お庄らの入って行ったところは、近ごろの普請と思われる扉《とびら》のある新しい門口で、そこを潜《くぐ》ると、木立ちを切り拓《ひら》いて作ったような、まだ落着きのない山ばかりの庭を通って、橋廊下で繋《つな》がれた一棟の建物の座敷の縁側へ出るように、飛び石が置いてあった。池の縁には松の葉蔭に燈籠《とうろう》の灯が見えなどした。
お庄らの上って行った部屋は、六畳ばかりの小間《こま》であった。浅山も媒介人《なこうど》も、インバネスを脱ぎ棄て、縁側から上って行くと、やがていろいろの人がそこへ顔を出した。老人《としより》夫婦もちょっと来て挨拶をして行った。
店の方で、何やらごたごたしている様子が、こっちへも解った。お庄が女中に頼んで、そこへ鏡台を持って来てもらって、顔を直したり、衣紋を繕ったりしている間に、媒介人《なこうど》は二度も三度も、店の方へ呼ばれて行った。
「困ったな。」と、媒介人《なこうど》は部屋へ復《かえ》ってくると、入口でそっと浅山に耳打ちをした。一行が乗り込んで来る二、三時間前に、ぶらりと店頭《みせさき》から出て行ったきり、子息《むすこ》の姿が見えないと言うのであった。
「どうしたというんだ。肝腎のお婿さんの行方が知れないなぞは少しおかしいね。」とチョッキの間ぬけて衿の濶《ひろ》いフロックを着けて坐り込んでいた浅山は、興のさめたような顔をして、薄い口髭《くちひげ》を捻《ひね》っていた。
頭の地の透き透きになった、色の黒い大柄の媒介人《なこうど》は、落着きのない顔を顰《しか》めてまた母屋《もや》の方へ渡って行った。
二十二になる新婿《にいむこ》が、床前《とこまえ》に伏目がちに坐っている嫁の側へ押し据えられたのは大分経ってからであった。お庄はその顔を見ることすら出来なかったが、べろべろに酔っていることだけは、媒介人《なこうど》に引っ張られて入って来た時の様子でも解った。並みはずれに身長《たけ》の詰ったじくじくした体や色の蒼白い細面なども、坐る時薄々目に入った。
親戚たちの挨拶が長く続いた。
燭台《しょくだい》の火が目にちらつくようで、見まいとしている婿の姿が、横からまた目に映った。
盃《さかずき》の時、骨細い婿の手が、ぶるぶる顫《ふる》えていた。
七十
翌朝お庄が目を覚ました時分は、屋内《やうち》がまだひっそりしていたが、立て廻した屏風《びょうぶ》の外の日影は闌《た》けていた。昨夜《ゆうべ》は寝室《ねま》へ退《ひ》けてからも、衆《みんな》はいつまでも騒いでいた。終《しま》いにはお袋の三味線などが持ち出された。汽車の間に合わなくなって、東京へ帰れなかった連中もあった。意地の汚い浅山も酔い潰れて、次の室《ま》に衆《みんな》と一緒にごろ寝をすることになった。そんな人たちの疲れた寝息や鼾《いびき》が、こっちまでも聞えた。
子息《むすこ》の芳太郎《よしたろう》は、蒲団の外へ辷《すべ》り出したまま、まだ深い眠りに沈んでいた。角刈りにした頭の地も綺麗で、顔立ちも優しい方であったが、手足の筋肉がこちこちと硬かった。時々板前をやると見えて、どこか腥《なまぐさ》い臭《にお》いのするのも胸につかえるようであった。お庄は明け方までおちおち眠ることが出来なかった。
芳太郎の口から聞かされる家の様子の、お袋の話と違ったところのあることが、じきにお庄にも感づけた。盃をする間際《まぎわ》に、近所の飲み屋で酒を呷《あお》っていたのも、衆《みんな》が揶揄《からか》っていたように、きまりの悪いせいばかりとも思えなかった。芳太郎の父親が死んでから、父親の生きているうちに外妾《めかけ》から後妻に直ったお袋が、引っ張り込んで来た今の親父を、始終不快に思っている芳太郎の心持も呑み込めた。親父には、牛込にいる女房も子もあった。実の父親が逐《お》い出した芳太郎の母親は、長いあいだ田舎の方を流れ歩いて、今は消息も絶えていた。
「お前も、あの親父にいびられることくらいは覚悟していなくちゃ駄目だよ。」少し口がほぐれてきた時分に、芳太郎はそう言って狎《な》れ狎《な》れしげに、酒くさい息を吐《ふ》きかけた。
お庄はそんなことを憶い出しながら急いで床を離れると、屏風の外で着物を着換えて部屋を出た。
橋廊下から母屋《もや》の方の台所へ出て行くと、年増《としま》のと少《わか》いのと、女中が
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