をあげながら磯野はいいつけるように言った。
「僕も少し治まったら、すぐ後から行って、叔父さんにお庄ちゃんを引っ張り出したお詫《わ》びをするからね。」
お庄は二人の様子を見て見ぬ振りをして黙っていた。
「心配しなくたっていいのよお庄ちゃん。」と、お増も言い出した。
「磯野さんは私がきっとお預かりしてよ。家で病気が出たのですから、このまま帰しちゃ私も心持が悪いわ。」
「……大変ですね。」と、お庄は少し笑いつけるような調子で、「私そんなに心配なぞしやしませんよ。」
お庄は途中まで出て行ったが、やっぱりその部屋のことが気にかかった。家へ帰ると、母親が一人火鉢のところに坐っていた。お庄はその側に寄って行くと、叔父のと決まっている座蒲団を側へ退《の》けて坐りながら、不興気に火を掻き廻していた。自分独りでは口上手のお増と喧嘩《けんか》をすることも出来なかった。磯野の気心も解らなかった。
「また喧嘩でもして来たろうえ。」と、母親は何を言いかけても、お庄がつんけんしているので、腹のなかでそうも思った。これまでにも、お庄は磯野とよく言合いをした。天神下の叔父の家で、友達と一所に酒を飲んで、それから一同《みんな》遊びに出かけようとしているところへ行き合わせた時も、外へ出てから雨のなかで喧嘩を始めて、傘で腕を撲《ぶ》たれたりした。女を引っ張り込んでいるところへ踏み込んで行ったこともあった。
お庄は押入れから夜具を卸していながら、ぴしゃんと閉《た》てつけた戸と柱の間へ挟んだ指をなめながら、「お痛《い》た。」と大げさな声を立てて突っ立っていた。母親が戸締りをしてからそこへ寄って来た。
「外で気に喰わないことがあって、家でそうぷりぷりするものじゃないよ。手がどうかなたかえ。舐めてやろうかい。」と笑った。
「阿母さんに舐めてもらったってしようがないわ。」と、お庄は呟《つぶや》きながら、やっぱり突っ立っていた。胸がむしゃむしゃして、そのまま床に就く気もしなかった。
臥《ね》てからも、お庄は始終外を通る人の跫音《あしおと》に気をいらいらさせた。
翌朝床を離れて手洗《ちょうず》をすますと、お庄は急いで、お増の宿まで行って見たが、切り戸はまだ締っていた。隙間から覗くと、靴脱《くつぬ》ぎの上にあった下駄も取り込んだらしく、板戸もぴったり締って、日当りの悪い庭の、立枯れの鉢植えの菊などが目についた。差配の方の格子戸もまだ開かなかった。お庄はしばらくそこを彷徨《ぶらぶら》していた。
昼少し前に、お庄が台所で飯の支度をしているところへ、磯野はぶらりとやって来た。そして奥で叔父や母親に調子を合わせて、何やら話し込んでいた。お庄はその顔を一目見たきりで口を利くことも出来なかった。
飯の支度の出来た時分に、磯野は母親の止めるのも聞かずに、そわそわした風で帰って行った。
お庄は目に涙をにじませながら、台所の方から出て来ると、「昨夜《ゆうべ》のことどうしたんです。」と出口で外套《がいとう》を着かけている磯野に声かけた。
「どうもしやしないよ。」と、磯野はにやにや笑いながら、「後で遊びにおいで」と言って出て行った。
六十五
田舎にいる芳村のもとへ、友達がそっと電報を打ってやった時分には、磯野は公然《おおぴら》にお増の部屋に入り込んでいた。
糺や芳村の友達仲間に後援《あとおし》をされて、ある晩お庄が磯野を連れ出しに行った時、お増はちょうど餅を切っていた。磯野も褞袍《どてら》などを着込んで、火鉢の前に構え込んでいた。その前にも、お庄は天神の年の市に二人一緒に歩いているところを人中で見つけて、一度お増に突っかかって行った。
「あなたも何か悪いことがあるから、家へ寄っ着かないんでしょう。私ちゃんと知っていますよ。随分ひどい人ね。」とお庄は暗いところで、磯野に厭味を言ってからお増を詰《なじ》った。
「お庄ちゃん、あなたにはすまないが、お察しの通りよ。」とお増は磯野を庇護《かば》うようにして落ち着きはらっていた。
「こうなれば、意地にも磯野さんは私が一緒になって見せますよ。お気の毒ですけれど、まあそう思ってもらいましょうよ。」お増は仮声《こわいろ》のような調子で言った。
「しかたがないから磯野さんも、お庄ちゃんにきっぱりした挨拶をして下さい。」
「そんなことを言うもんじゃないよ。ここで逢ったんだから、とにかく一緒に歩こう。」と、磯野は二人を明るい方へ連れ出して行った。
それからも逢って、話をするような折もなかった。
お庄は夜になると、よく一人で家を脱け出して、お増の部屋の切り戸の外に立ち尽していた。
「お前が騒ぐからなおいけない。」と、母親はたしなめたが、お庄はそっとしておけなかった。
糺や芳村の友達が集まって、そんな相談をしている時も、叔父は棄ておく方がいいと言って、傍で笑っていたが、一同はお庄を連れて押しかけて行った。
「誰の許しであなたは人の家へなんか入って来ました。家宅侵入罪ですよ。」と、お増はこわい目をして、磯野を外へ連れ出すつもりで、独りで入り込んで行ったお庄を睨《ね》めつけながら呶鳴《どな》った。
「いいじゃありませんか。私は磯野さんに用事があって来たんですから。あなたこそ誰に断わって磯野さんなどをこんなところへ引っ張り込んでいるんです。」
「引っ張り込もうとどうしようと私の勝手ですよ。そのために、あなたにもお断わりしたんじゃありませんか。」
「いいえ、私はまだ磯野の口から、一言も断わりを言われたことはありません。あなただって、芳村さんという人があるじゃありませんか、あんまりずうずうしいことをなさると私がいいつけてやるからいい。」
「ええいいんですとも。芳村が帰って来たって、私逃げも隠れもするじゃありません。よけいな心配などして頂かなくとも、私が綺麗に話をつけて別れますよ。憚《はばか》りながら、そんな意気地のないお増じゃありませんよ。」
二女《ふたり》は長い間、凄《すご》い勢いで言い合った。傍で制する磯野の語《ことば》も耳に入らなかった。
「あなたになぞ係り合っていませんよ。」と、お庄は終《しま》いに磯野の方へ向いて、
「磯野さん、ちょっとそこまで私と一緒に来て頂戴。」
「お気の毒ですが行きゃしませんよ。磯野は私の良人《おっと》です。」
お庄は糺や友達に呼び出されて、そのまま引き取った。田舎から出て来た芳村は、上野へ着くとすぐその足でお庄の家へやって来た。友達からの報知《しらせ》を受け取った時、芳村は何のこととも想像がつかなかったが、すぐ宿へ乗り込むのは不得策だということだけは、電文にも書き入れてあった。
一同《みんな》から事情を聞いてから、芳村は自分の宿へ帰って行った。
六十六
その晩芳村は行ききりであったが、お増と綺麗に手を切ったことは、翌朝芳村が友達のところへやって来てから、やっと解った。そのことを話しに二人はお庄のところへもやって来た。
芳村は旅の疲労《つかれ》やら、昨夜《ゆうべ》の騒ぎやらでめっきり顔に窶《やつ》れが見えた。今朝友達の宿で飲んだ酒の気もまだ残っていた。
「それにしても可哀そうな女です。彼《あれ》自身も思い設けない結果になってしまって――。」と、芳村はまだ女の心持を愍《あわれ》んでいた。
「それにしても随分ずうずうしいやね。」と、友達は芳村から聞いた昨夜《ゆうべ》の事情を、お庄や母親の前で話した。磯野とお増とが、芳村の顔を見ると、いきなり二人がそうなった動機を話して、芳村にも同情してくれろと言ったことや、お増が部屋にあったいろいろの世帯道具や夜の物、行李《こうり》のなかの芳村の持物までを強請《ねだ》って、おおかた|浚《さら》って行ったことなどが、憎さげに話し出された。
「それで磯野と一緒に出て行ったんですか。」と、お庄はあの部屋を出て行った二人の様子を心に描いた。
「それでも出て行くとなれば、あまりいい心持はしなかったろうがね。」と母親も傍から口を利いた。
「今度こそは、意地にも添い通して見せるなんて言って出ては行きましたがね、長持ちがするかどうかは疑問ですよ。」と言って、淋しく笑っている芳村の顔では、女がまた自分の懐に復《かえ》って来る時が、きっとあるものと信じているらしかった。
「どうせ一人を守っちゃいられない女なんだからね。」友達が言った。
「そうなんでしょうね。あの人は私の聞いているだけでも、随分いろいろの人を知っていましたからね。」と、お庄も芳村の心をもどかしく思った。
二階に寝ていた叔父が起きて来てから、芳村は昨夜《ゆうべ》托《あず》けておいた鞄を提げ出して、やがて友達と一緒に帰って行った。叔父は淋しい朝飯の膳に向いながら、母子《おやこ》がしている磯野らの噂に耳を傾《かし》げていた。
「お庄も、築地にいる時分にどこかへ片着けておくだったい。」と、母親はお庄の厭がる弟の給仕をしながら、以前のことを思い出していた。運の向きかけて来てから、まだまだ前途があるように言っていた弟が、こんなにばたばたと息ついて来ようとは思わなかった。
お庄はすることが手に着かなかった。縫直しに取りかかろうとしていた春着の襦袢《じゅばん》なども、染物屋から色揚げが届いたばかりで、この四、五日のどさくさ紛れに、まだ押入れへ突っ込んだままであった。ひとしきり自分の体に着くものと決まっていた数ある衣類も、叔父に言われて、世帯の足しに大方|余所《よそ》へ持ち出してしまった。磯野が時に工面《くめん》に行き詰ったおりおり、母親に秘密で、二人でそっと持ち出して行った品も少くなかった。今度磯野に逢ったら、せめてそれだけでも取り返す工夫をしなければならぬとも考えた。
天神下の叔父の家の二階に潜伏《しゃが》んでいる磯野とお増のことが、時々思い出された。お庄は明りがつく時分になると、天神の境内から男坂の方へ降りて行った。どの町を歩いても、軒ごとに門松や輪飾りが綺麗に出来|揚《あが》って、新しい春がもう来たようであった。羽子板を突いている少《わか》い娘たちの顔にも待ち遠しい色があった。
お庄は淋しい男坂を、また一人で登って来た。
「お庄も、ああしてうっちゃっておいちゃ悪いがな。」と、湯島の伯母が、蔭で気を揉んだ。
六十七
お庄が下谷《したや》の方のある眼鏡屋の子息《むすこ》と見合いをさせられることになったのは、一月の末であった。その眼鏡屋を、湯島の伯母の家主が懇意にしていた。家主が以前下谷で瀬戸物屋をしていた時分からの知合いで、今茲《ことし》二十四になった子息《むすこ》のこともよく解っていた。
お庄は伯母の家で、時々この家主の家の娘と顔を合わして双方が知っていた。娘はもう三十歳《さんじゅう》余りで、出戻りであったが、瀬戸物屋をしまってから、湯島の方へ引っ越して来た。母子二人きりで質素に暮し、田舎へ小金を廻しなどしていた。五、六軒ある借家の家賃の額も少くなかった。娘は名の聞えた呑んだくれの洋画家に縁づいていたが、父親が死ぬ前に、病気の見舞いに来ていて、父の遺言でそれきり帰らずじまいになっていた。
伯母とこの家とは、大屋と店子《たなこ》との関係以上の親しみがあった。瀬戸物屋などしている時分から界隈《かいわい》に美人の評判が高かったその娘は、糺を弟のように可愛がっていた。
「東京で開業なさるなら、資本ぐらいは家でどうにかしますよ。」と、その娘は伯母の前にも公然《おおぴら》に言っていた。
糺が田舎の身内続きのある医者の家を継がなければならぬことになってからも、この交際は続いていた。そのころには、画家から籍を取り復《かえ》されて、娘に養子が迎えられた。
この女が、母子《おやこ》と一所にあり余る財産を持っていながら、いつも着物らしい着物を引っ張っていたこともなく、顔には白粉一つ塗らずに、克明な姿《なり》をして、家賃を取り立てて歩いているのがお庄には不思議なようであった。惰《なま》けものの美術家に縁づいて、若い盛りを嫌《いや》な借金取りのいいわけに過して来た話を、お庄は時々この女の口から聞かされた。
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