の出て来た時伯母の口からまた言い出された。
 叔父の知合いで、本家と同じ村から出た男に勧められて、石川島の廃《すた》れ株をうんと背負い込んだ従兄は、そのころ悩まされていた神経痛の療治かたがた株の配当を受け取りに出て来ていたが、そんな株に何の値打ちもないことが知れて来ると、急に落胆《がっかり》して毎日の病院通いも張合いが脱け、背《せなか》や腕にぴったり板を結び着けられた自由の利かぬ体を、二階の空間に蒲団を被《かぶ》って寝てばかりいた。
 株をすすめられた時、のぼせがちの従兄が親類の誰某《たれそれ》と仲違《なかたが》いまでして、二度も三度も田地を抵当に入れて、銀行から金を借りた事情を、母親も伝え聞いて知っていた。これまでに村の大火の火元をしたり、多勢の妹を片着けたりして、ようやく左前になりかけていた身上《しんしょう》を、従兄は盛り返そうとして気を燥《あせ》った。お庄母子兄弟のことも始終気にかけていた。
 峠を一つ越して十里ばかりかけ離れた親類の家に、ちょうどお庄の片着くような家が一軒あった。従兄はその家のことを話して母子の心持を確かめようとした。
 そこには家着きの娘に養子が貰ってあったが、この春その娘が死んだということや、病気は肺病だという評判もあったが、実際はそんな悪い病気でもなかったらしいということや、昔からの親類関係、人柄財産の高なども、従兄は詳しく話して聞かした。
「どうだお庄さん、行く気はないかい。」
 従兄はお庄親子と三人顔を突き合わしている時笑いながら言った。
「叔父さんの病気も、あの様子じゃどうも面白くないようだし、こうしていちゃだんだん究《つま》って来るばかりだで、少しでも物のあるうち片着いた方がよかないかい。」
 お庄はただ笑っていた。東京から離れるということを考えるだけでも厭な気がした。肺病で死んだ娘の後へ坐るのも薄気味が悪かった。磯野の産れ故郷で見せつけられて来たような百姓家で一生を送る人の惨《みじ》めさが、想いやられた。その町では、宿へ呼んでもらうような髪結一人なかった。
「どういうものだかね。」と、母親もお庄を手放したくはなかった。
「東京に育ったものには、百姓家にとても辛抱が出来まいらと思うが――。」
「百姓家だって、野良《のら》仕事をするようなこともないで。」
「それでも、やれ田の草取りだことの、やれ植えつけだことの、養蚕だことのと言って、ずぶ働かないでいるわけにも行かないでね。」
「そんなことくらい何でもないじゃないか。気に苦労がないだけでもいい。またあのくらいよく出来た養子もないものせえ。働くことも働くし姑も大事にする。」
 母親もお庄も、我《が》を張って断わることも出来ないと思った。
 お庄は日が暮れると、天神下にある磯野の叔父の家へ、時々訪ねて行った。以前はかなりの船持ちであったという磯野の叔父はもと妾であった女と一緒に、そのころそこに逼塞《ひっそく》していた。下谷で営《や》っていた待合も潰《つぶ》れて、人手に渡ってから、することもなく暮していた。
 お庄は夏の末に、また出て行くと言った磯野の言《ことば》を想い出しては、この叔父から、田舎の消息を聞き出そうとした。

     六十二

 お庄と母親とが障子張りをやっていると、そこへお増も来て手伝った。
 免状を取ると一緒になるはずの芳村が、学資の継続問題で、秋の末に郷里へ帰ってから、お増は始終ここへ入り浸っていた。四つも五つも年上のこの女に附き絡《まと》われるのをうるさがって、二階にいた中江という書生も、そのころはどこへか引っ越して行方《ゆくえ》が知れなかった。
 お増はお庄と一緒に、茶の間で障子を張りながら、自分の身の上のたよりないことを話した。お増は自分の親を知らなかった。浜町のある遊び人の家で育ったことだけは解っているが、そのほかのことは何にも知れていなかった。ようやく小学校を出た時分から男とと関係して、田舎の医師《いしゃ》のところへ縁づく前には、ある薪炭商《しんたんしょう》の隠居の世話になっていた。
「真実《ほんとう》に私ほど苦労したものはありませんよ。」と、お増は粗雑《ぞんざい》な障子の張り方をしながら、自分のことばかり語った。
「これで芳村がまた駄目となれア、私だって考えまさね。」
 お庄も母親も人のこととばかり聞き流してもいられなかった。
 奥では磯野が叔父と碁を打っていた。磯野がまた東京へ出て来たのは十一月の初旬で、お庄は叔父や母親に隠れて、時々叔父の家で逢っていた。問屋の方をすっかり封ぜられた磯野は、前のように外を遊び行《あ》るいていてばかりもいられなかった。碁敵《ごがたき》や話し相手に渇《かつ》えている叔父も、磯野の寄りついて来るのを、結句|悦《よろこ》んでいた。医師《いしゃ》の糾や繁三が来ると、すぐに石を消毒して、済んだあとでもまた自分の手を注意深く消毒するのが気にくわなかったが、それすら今はあまり相手をしてくれなくなった。
 障子張りが一ト片着き片着いてから、衆《みんな》は一緒に晩飯を食べた。お増は芳村のいない宿の部屋へ帰って、昨日から持越しの冷たい飯を独りで食べる気がしなかった。
「話を聞いてみれば、あの人だって可哀そうですよ、寄りつくところがないんですからね。」と、お庄は後でお増のことを噂した。
「一生懸命芳村さんに噛《かじ》りついていたって、その芳村さんがどうなるか知れやしない。」
 お庄はそう言いながら、奥の箪笥のうえに置かれた鏡の前に立って、髪を直していた。磯野とお増と三人で、晩に寄席に行く相談が、飯の時取り決められてあった。磯野はお増に寄席を強請《ねだ》られると、そのつもりで、飯が済んでからお増と一緒に、一旦帰って行った。
 お庄は顔も化粧《つく》り、着物も着替えて待っていたが、時計が七時を打っても八時を打っても誰も来なかった。お庄はじっとして落ち着いていられなかった。
 軒の外へ出て見ると、雨がしぶりしぶりと降り出している。お庄は出たり入ったりしていたが、待ちきれなくなって、傘《かさ》を持ち出して、つい近所のお増の宿の前まで様子を見に行った。
 お増の宿は、その番地の差配をしている家の奥の方の離房《はなれ》で、黒板塀《くろいたべい》の切り戸を押すと、狭い庭からその縁側へ上るようになっている。お庄はその切り戸の節穴から、そっと裏を覗《のぞ》いてみると、離房《はなれ》の方の板戸は、ぴったり締っていて、中に人気《ひとけ》もしなかった。お庄は急いで天神の通りの方へ出て行った。
 磯野の叔父の家では、やっと飯を済ましたところであった。叔父は茶の室《ま》の火鉢のところに胡坐《あぐら》を組んで、眼鏡をかけて新聞を見ていた。
 お庄は上《あが》り框《がまち》のところに膝を突いて、奥の方を覗き込んだが、磯野は三時ごろにぶらりと出て行ったきり、まだ帰っていなかった。
「私アまた庄ちゃんのとこだと思ったら、そいつアおかしいね。」叔父はそう言いながら、また新聞に目を移した。
 寄席へ入って行くと、目をきょろきょろさせながら、四下《あたり》を見廻しているお庄のすぐ目の前に、磯野とお増が狎《な》れ狎《な》れしげに肩を並べて坐っていた。

     六十三

 お庄はその側《なか》へ割り込んで行くことも出来なかったが、そのままそこを出る気にもなれなかった。幾度も声をかけようとしたが、咽喉《のど》が渇《かわ》きついているようで、声も出なかった。高座からは調子はずれの三味線の音ばかり耳について、二人並んだ芸人の顔なぞは、目にも入らなかった。二人は時々顔を見合って話をしていた。お庄はそのたびに胸がいらいらした。いつか番傘を借りて行ってから顔を覚えられてしまった、近所の折を拵える家の子息《むすこ》だという顎《あご》の長い中売りの男が、姿を見つけて茶を持って来ながら、
「お連れさんがそこへ来ていらっしゃいやすよ。」と言ってその顎を杓《しゃく》った。その時にお増が後を振り顧《かえ》った。磯野も振り顧った。
 お庄は明けてくれた磯野の右側の方へ座を移した。
「人を出し抜いたり何かして随分ね。私を誘うという約束だったじゃありませんか。」と、少し強《きつ》いような調子で言った。
 この前にも夜天神を散歩している時、お増は浮いた調子で磯野に歌を謳《うた》って聞かせたり、暗いところをしな垂《だ》れかかるようにして歩いていた。その時は男に媚《こ》びることに慣れている厭味なこの女のそうした癖だと思って見て見ぬ振りをしていたが、そうとばかりに澄ましていられなくなった。
「そういうわけじゃないのよお庄ちゃん。」とお増は小さい可愛い手頭《てさき》に摘んだ巻莨などを喫《ふか》して、「誘おうと思ったけれど、もう時間も遅かったしきっとお庄ちゃんが先へ来ているだろうと思ったのよ。決して出し抜いたわけじゃないんですから、どうぞ悪しからずね。」
 御簾《みす》がおりてからも、二人はしばらくそんなことを言い合った。
「まあいいじゃないか。己《おれ》が悪かったんだから。」と、磯野は制した。
 お庄は世間摺れのした年上の女に、そう突っかかって行くことも出来なかった。二人だけのおり、後で磯野に話をすれば筋道の解ることだとも思った。
 三人はもう落ち着いて高座へ耳を澄ましてもいられなかった。お庄は始終磯野に話しかけるお増の様子に気を配ることを怠らなかった。お庄を傍につけておいて、時々|謎《なぞ》のようなことを言い合っている二人の素振りには、ずうずうしいようなところがあった。
 中入り前に寄席を出ると、その足で蕎麦屋《そばや》へ入って、それから寒い通りを縺《もつ》れ合って歩いていた。蕎麦屋を出る時には、お庄の心も多少落ち着いていた。
「私のようなものでも、どうぞ姉と思って交際《つきあ》って頂戴ね。磯野さんにも、芳村の弟のつもりで、これから力になって戴《いただ》くことに私お願いしたんですからね。」と、お増は猪口《ちょく》を差しながらお庄に話しかけた。なにかにつけて源之助の仮声《こわいろ》ぶりを演《や》るその調子が、お庄の耳には舐《な》めつかれるようであった。
 帰りに磯野もお庄もお増の宿へ寄ることになった。六畳ばかりのその部屋はきちんと片着いていた。先刻《さっき》出て行ったままに、鏡立てなどが更紗《さらさ》の片《きれ》を被《か》けた芳村の小机の側に置かれて、女の脱棄てが、外から帰るとすぐ暖まれるように余熱《ほとぼり》のする土の安火《あんか》にかけてあった。
「私冷え性なものですから、安火がなくちゃどうしても寝つかれないの。」と、お増は中へ手を挿《さ》し入れて、火を掘《ほじ》くった。そしてそこから小さい火種を持ち出して、火鉢に火を興《おこ》しはじめた。長いあいだ慣らされて来たこの夫婦の切り詰めた世帯が、炭の注《つ》ぎ方にも思いやられた。田舎からの細い仕送りで、やっと図書館通いをしている芳村が、三度の食事を切り詰めても、傍に女がいなくては、一日も本を読んでいられないということを、お庄はお増から聞いて知っていた。
 口を窄《つぼ》めて火を吹いている、生《は》え際《ぎわ》の詰ったお増の老《ふ》けた顔を横から眺めながら、お庄は毎日弁当を持って図書館へ通っていた芳村の低い音声や、物優しい蒼い顔を想い出していた。脚気《かっけ》で悩んでいる時も、お増は男を低い自分の肩に寄りかからせながら、それでも図書館通いを続けさせていた。

     六十四

 三人で安火に当っているうちに、磯野は腹が痛むと言い出して、そこへ突っ伏した。お増は押入れから自分の着物を出して来て、背《せなか》へ被《か》けたり、火鉢の抽斗《ひきだし》から売薬を捜して飲ませたりしたが、磯野の腹痛は止まなかった。
「いけないわね。」と、お増は独りで気を揉《も》みながら、枕など持ち出して来て、
「気味が悪いでしょうけれども、少しそこにお寝《よ》っていらっしゃいよ。」
「あまり晩《おそ》くならないうちに、お庄ちゃんは一足先へお帰り。叔父さんが心配するといけませんよ。」と、大分経ってから、安火に逆上《のぼ》せたような赫《あか》い顔
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