》の××さんの話じゃ、片肺まるでないというこんだぞえ。」
叔父はまだ奥座敷に寝ていた。昨夜《ゆうべ》二人でおそくまで起きていたらしいお照も、まだ目が覚めなかった。
叔父は院長からはっきりした診断を下されるのを怖れて、行くのを渋くった。
「やっぱり肺だということだぞえ。」と、昼ごろに叔父をつれて帰って来た伯母は、蔭で母親に告げた。
治療に望みのないことが、診察をおわった叔父が帯を締めている背後《うしろ》から、大きい手と首を振って見せた院長の様子でも知れていた。
五十八
「叔父さんが帰って来たら、僕からよく話をする。」二階の部屋を借りて、ここから一ツ橋の商業学校へ通っている磯野《いその》という群馬県産れの書生が、薬師の縁日に手を引き合って通りを歩いているときお庄に話しかけた。磯野は糺の友人の知合いで、糺とも知っていた。そんな関係からここの二階を借りることになった。家は肥料問屋で磯野はその時分からいろいろの遊び友達を持っていた。酒も飲んだり唄も謳《うた》った。叔父とも碁を打ったり、花を引いたりした。深川へ荷がつくと、母親が托《あず》けてよこした着物や、麦粉菓子《むぎこがし》のようなものが届いて、着物のなかから可愛い末の子に心づけてくれた小遣い銭などが出て来たが、家をやっている兄の方にはあまり信用がなかった。磯野は一、二の官立学校の試験を、いつも失敗して、今通っている学校は、学課の程度が低く、卒業生の成績や気受けも香《かんば》しい方ではなかった。磯野はそこへ学籍を置きながら、月々の学費を取り寄せていた。
叔父は四月の末ごろから海辺へ行っていた。前の会社の用事でもと行きつけた浦賀から、三浦三崎の方へ廻って、そこで病を養っていた。田舎から取って来た金も、会社の跡始末に消えてしまって、この家へ引き移って来た時も、かけてあった取り残しの無尽を安く競《せ》って落したくらいであったので、病気になってからも思うような保養も出来なかった。母親の内職に出さした素人下宿も間数《まかず》が少く、まだ整ってもいなかった。
「生身《なまみ》の体はいつどんなことがあるか知れないで、それで私《わし》が言わないことじゃなかった。いい加減に締っておくだったい。」と、母親は弟に怨《うら》みを言った。
叔父は立つ間際まで、お照を傍から離さなかった。寝衣《ねまき》に重ねた白地の単衣《ひとえ》がじっとり偸汗《ねあせ》に黄ばんで蒲団をまくると熱くさい息がむれているくらいであったが、痩せ我慢の強いお照は平気で叔父のところへ寄って行った。一緒に食べ物に箸を突っ込んだり、一つ湯呑《ゆのみ》で茶を呑んだりした。
「厭ねお照さんは。あんな中へ入って行くと、伝染しますよ。」と、お庄は蔭で眉《まゆ》を顰《ひそ》めた。
「大丈夫よ。私の体には病気が移りゃしませんよ。」と、お照は黄色い、かさかさした顔に寝白粉を塗って、色の褪《あ》せた紡績織りの寝衣に、派手な仕扱《しごき》などを締めながら、火鉢の傍に立て膝をして寝しなに莨を喫《す》っていた。
「移るものなら、もうとっくに移っていますよ。今から用心したって追っつきゃしない。」お庄は尖《とんが》ったようなその顔を、まじまじ眺めていた。
「めったに移る案じはないけれどね。」と、母親も、傍で茶を呑みながら言った。
「それに叔父さんのは咳《せき》も痰《たん》も出ないもんだで、まだそれほど悪いのじゃないとも思うがな。」
「それがなお悪いのですよ。」お庄は打ち消した。
「どうしてあんな病気が出たものかな。家にゃ肺病の筋はなかったがな。」
「いいえお女郎から伝染《うつ》るといいますよ。お女郎にゃ随分あるんですって。」
酒や女に耽《ふけ》っていた弟のだらしのない生活が、母親の胸に想《おも》い回《かえ》された。
「あれで臥《ね》つきでもしたらどうするだか。」
「いいですよ。叔父さんだって可哀そうじゃありませんか。私きっと叔父さんを見達《みとど》けてあげますよ。」お照は痩せこけた手で、豆ランプに火を点《つ》けると、やがてずるずるした風をして、段梯子を上って行った。
「田舎へ帰れアあれでもちゃんとした家の娘でいられるに。」母親は後で呟いた。
自棄《やけ》になったようなこの女の心持が、母親には呑み込めなかった。
五十九
島田髷《しまだまげ》に平打《ひらうち》をさして、こてこて白粉や紅を塗って、瘟気《いきれ》のする人込みのなかを歩いているお庄の猥《みだ》らなような顔が、明るいところへ出ると、羞《はじ》らわしげに赧《あか》らんだ。薬師裏を脱けた広場には、もう夏菊の株などが拡げられてあった。
帰りに暗い路次のなかの家へ入って、衝立《ついたて》の蔭で一緒に麦とろなどを喰べた。酒も取って飲んだ。そこを出たとき、お庄は紅い顔をしていた。
「阿母《おっか》さんも行くなら行っておいでなさいよ。たまにゃ外へも出て見るといいのよ。」お庄は家へ帰って行くと、今やっと行水から上ったばかりの母親を促した。母親はにやにやした顔で二人を見迎えたが、女中と一緒に買物がてらお庄から金を渡されて出て行くまでには、大分暇がかかった。
中江という医学生のところへよく遊びに来る、お増という女が二階から降りて来ると、二人のなかへ割り込んで、辻占入《つじうらい》りの細かい塩煎餅《しおせんべい》を摘《つま》みながら、間借りをしている自分の宿やここへ出入りする男の品評などを始めた。この女はもう二十六、七であった。縁づいていた田舎医師の家で不都合なことがあって、子供のあるなかを暇を出されてから、東京へ来て長い間まごついていたことを、お庄も中江などから聞いて知っていた。「お前のような女には手切れの金より着物の方が身について安全だろう。」と言って、その良人から拵えてもらった支度が亡《な》くなった時分には、もういろいろの男を亭主に持って来たことを、女の口からもたびたび聞かされた。女はしみじみした調子で亭主運の悪いことをよく零《こぼ》した。行き詰って、田舎の医師の家へまた詫《わ》を入れに行ったとき、姑《しゅうとめ》が頑張《がんば》っていて、近所に取っていた宿から幾度逢いに行っても逢うことが出来なかった。女は夜更けてから梯子をさして、そっと二階の主《あるじ》の部屋の戸を敲《たた》いたが、やはり入ることが出来ずに、外から悪体を吐《つ》いて帰って来た。
「私あんなくやしかったことはありゃしませんよ。」と、女は目に涙をにじませて、自分と自分の興味に耽《ふけ》りながら話していた。
「まあ聞いて下さいよお庄ちゃん――。」と、女は今度の試験を、長く一緒にいる男がまた取り外してしまったことを零しはじめた。
「あんなに私が一生懸命になって、図書館に通わしてやっても、駄目なものはやはり駄目なんでしょうかね。これからまた一年、毎日毎日お弁当を拵えてやらなけアならないのかと思うと、私うんざりしちまいますよ。」お増は磯野に莨を吸いつけてやりながら、哀れな声で言った。
「今度私磯野さんに芝居を奢《おご》って頂きましょう。ねえお庄ちゃんいいでしょう。」お増は帰りがけに、甘い調子で磯野に強請《ねだ》った。
「あの人は芝居がどのくらい好きだか――。」と、お庄は後で磯野に話した。
「芳村さんには煮豆ばかり食べさしておいて、暇さえあると自分は芝居へ行ってるの。」
「ふとすると家の中江に乗り換えようとしているんかも知れないね。若い人から絞るという話もあるぜ。」と、磯野は笑った。
「そうでもしなくちゃ、芝居道楽が出来ないでしょう。」
磯野がお庄の詰めてくれた弁当を持って、朝おそく、学校へ出て行った。
お庄は磯野の出たあとの部屋を自身綺麗に取り片着けながら、磯野の蒲団のうえに坐って、時計のオルゴルを鳴らして見たりした。
お庄は机の抽斗《ひきだし》を開けて見た。抽斗からは、コスメチックや香水のような物が出た。写真や手紙なども出た。手紙のなかには磯野がよく行ったことのある小塚から来たらしいのもあった。お庄はそれを読みながら、劇《はげ》しい耳鳴りを感じた。舌も乾くようであった。
昼過ぎに、軽い夏の雨が降って来た。お庄は着物を着替えて、蝙蝠傘《こうもりがさ》を持って学校まで出かけて行った。そして路傍《みちわき》の柳蔭にたたずんで、磯野の出て来るのを待っていた。
六十
盆時分に問屋の決算をしに出て来て小網町の方に宿を取っていた兄が帰る時、磯野も一緒に田舎へ行くことになった。磯野が兄の取引き先から二十円三十円と時借りをした金の額の少くないことが、その時すっかり解った。お庄のところへ来たてに磯野はそんな金で、軟かい着物を拵えたり、持物を買ったりして景気づいていたが、湯島|界隈《かいわい》の料理屋にもちょいちょい昵近《ちかづき》の女があった。お庄と一緒に歩いている時、磯野は途《みち》で知った女に逢うと、こっちから声をかけて、お庄をそっち退《の》けに、片蔭でひそひそ話をすることがたびたびあった。
「あれには僕が少し義理の悪い借金もある。いつか芸者の祝儀を立て替えさしてそれッ放しさ。」と、磯野は何か思い出したような顔をして、またお庄と一緒に歩いた。
磯野がいろいろの女を知っていることが、お庄にも解って来た。
部屋で机のなかから写真を出して見ていると、磯野は手切れまで取られて別れた一年前の女をまた憶い出した。そしてお庄の見ている傍で急に思い着いて手紙を書きはじめた。
「厭な人ね。」と、お庄は机の端に両肱《りょうひじ》をついて目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》っていたが、いきなり手を伸ばして巻紙を引っ褫《たく》った。
「何大丈夫だよ。どうしているかちょっと訊いて見るだけだ。」磯野はお庄を宥《なだ》めておいてまた手紙を書きはじめる。
半分ほど書くと、お庄はまたべったり墨を塗った。
女は手紙で呼び出されて、それから三度ばかり遊びに来た。二度目には自家《うち》で拵えた紙入れなどをお庄へ土産《みやげ》に持って来てくれて、二階で二、三時間ばかり遊んで帰って行った。女の父親は袋物の職人で、家は新右衛門町の裏店《うらだな》にあった。磯野の郷里の町へ旅芸者に出ていた時分からの馴染《なじ》みで、土地でしばらく一緒に暮したこともある。女は亡くなった磯野の父親の気に入りで、町でも評判のよい素人くさい芸者であった。
磯野はその女を一、二度引っ張りまわすと、またふっつりと忘れてしまった。
亡くなった叔母の弟が田舎へ帰省するときお庄はその男と約束しておいて、自分で路費を少しばかり拵えて、叔父にも母親にも秘《かく》して、磯野の田舎へ遊びに行った。叔父は海辺から帰って、また家にぶらぶらしていた。病気が快くなったとも思えなかったが、いくらか肉づきもよくなっていたし、色沢《いろつや》も出て元気づいていた。叔父は自分では肺尖加答児《はいせんカタル》だと称していた。
狭い田舎の町では、お庄は姿《なり》が人の目に立って、長くもいられなかった。磯野とも一度|鰻屋《うなぎや》で二人一緒に飯を食ったきりで、三日目の午後には、もう利根川《とねがわ》の危い舟橋を渡って、独りで熊谷《くまがや》から汽車に乗った。
停車場で買った五加棒《ごかぼう》などを土産に持って、お庄はその夕方に家へ帰った。
帰って来たことが知れると、湯島の伯母がすぐにやって来た。
「お前まあ何てことをするだえ。」と、伯母は前から感づいていたお庄の不乱次《ふしだら》を言い立てた。
「田舎へでも知れて見ない。それこそ親類のいい顔汚《かおよご》しだぞえ。」
叔父は傍に黙っていた。
「お安さあも、年中傍についていて、何をしているだい。」伯母は母親にも当り散らした。
叔父と伯母とのあいだに、お庄を片着けるような家の詮索《せんさく》が始まった。伯母はその男との関係があまり縺《もつ》れて来ないうちに早くお庄の体を始末をしなければならぬことを主張した。
「やっぱり田舎がいいらと思うが――。」
六十一
お庄を田舎へ片着けるという話が、本家の従兄《いとこ》
前へ
次へ
全28ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング