もいい気保養をさしてもらいました。」と、姑は誰もいない部屋や、火の消えている火鉢のなかを寂しそうに眺めた。
二、三日めっきり涼気《すずけ》が立って来たので、姑は単衣《ひとえ》の上に娘の紋附の羽織などを着込んでいた。お庄も中形のうえに縞《しま》の羽織を着て、白粉を塗った顔を撫《な》でながら傍へ来て坐った。そして母親に小言をいいながら火を興しはじめた。
「たまに私《わし》が按摩でも取れば、じきに口小言だでね。」と、母親は座敷の方から寝ぼけたような声で言った。
「自分は遊んであるいて、そう親ばかりいじめるもんじゃないよ。」
「またあんな解らないことを言うんだよ。いくら遊んであるいたって、帰ってお茶一つ飲まずにいられますかね。そのための留守じゃありませんか。」お庄もやり返した。
「まあいいわね。」と、姑は優しい調子で宥《なだ》めた。「姉さまもお疲れなさんしたろうに、私でも帰ったら、またゆっくらと骨休めをなすって……。」
「そんなことを言や、病院で長いあいだ、夜の目も合わさずに看護したものはどうするでしょう。」お庄はまた母親をきめつけた。勝手の強い姑の伴《とも》ばかりして、毎日行かせられるのを、お庄も飽き飽きしていた。口で言うほどでもない姑は、外へ出れば出たで腥《なまぐさ》いものにも箸を着けていた。「気晴しに、御酒を一つ。」と言って食物屋《たべものや》で飯を食うとき銚子《ちょうし》を誂《あつら》えてお庄にも注いでくれた。
「自分が出不精のくせに、人が出ると機嫌がわるいのだよ。真実《ほんとう》に妙な人。」お庄は終《しま》いに笑った。
湯が沸く時分に姑は着替えをすましてまたそこへ坐った。母親も側へ来て、お愛想をした。そうしてからまた、明後日《あさって》のお寺詣《てらまい》りに着て行く、自分の襦袢の襟をつけにかかった。
五十二
姑が帰ってから二、三日の間、お庄|母子《おやこ》は家の片着けにかかっていた。箪笥の抽斗《ひきだし》が残らず抽《ぬ》き出され、錠の卸《おろ》された用心籠や風を入れたことのないような行李が、押入れの奥から引っ張り出された。そんな物のなかから、蝕《むしば》んだ古い錦絵《にしきえ》が出たり、妙な読本《よみほん》が現われたりした。母親は叔母が嫁入り当時の結納の目録のような汚点《しみ》だらけの紙などを拡げて眺めていた。
「お此さんも、こんなにして嫁入りしたこともあったにな。十年と一緒にいなかった。」
お庄は袋のなかから、こまこました叔母の細工物を取り出して見ていた。縮緬《ちりめん》の小片《こぎれ》で叔母が好奇《ものずき》に拵えた、蕃椒《とうがらし》ほどの大きさの比翼の枕などがあった。それを見ても叔母の手頭《てさき》の器用なことが解った。体の頑固な割りに、こうした女らしい優しい心をもっていたことが、荒く育ったお庄にもうらやましかった。叔母の側にくっついていて、もう少し何かの手業《てわざ》を教わっておくのだったとも考えた。
「叔母さんのすることは、少し厭味よ。」お庄は捻《こ》ねくっていた枕をまた袋の底へ押し込んだ。よく四畳半で端唄《はうた》を謳《うた》っていた叔母の艶《つや》っぽいような声が想い出された。
「阿母《おっか》さんもそんなものを持って来て。」
お庄も目録を取り上げて畳の上に拡げた。
「阿母さんだって、木曽へ行った時分はねえ。」と、母親は木曽《きそ》の大百姓の家へ馬に乗って嫁に行ったことを想い出していた。
「あの家に辛抱しておりさえすれば、今になってまごつくようなことはなかったに。」
「どうして辛抱しなかったの。」
「どうしてって、家の遠いのも厭だったし、姑という人が、物がたくさんあり余る癖に吝《けち》くさくて、三年いても前垂一つ私の物と言って拵えてくれたことせえなかった。田地もあったが、種馬を何十匹となく飼っておいて、それから仔馬《こうま》を取って、馬市へも出せば伯楽《ばくろう》が買いにも来る――。」と、母親は重い口で、大構えなその暗い家の様子を話した。お庄は、そんなところにもいたのかと思って、口に泡をためている母親の顔を瞶《みつ》めた。
「その家じゃ機《はた》もどんどん織るし、飯田《いいだ》あたりから反物を売りに来れば、小姑たちにそれを買って着せもしたが、私《わし》には一枚だって拵えてくれやしない。万事がそれだで私も欲しくはなかったけれど、いい気持はしなかった。それで初産《ういざん》の時、駕籠《かご》で家へ帰ったきり行かずにしまったというわけせえ。」
「その人はどんな人さ。」
「どんなって、馬飼うような人だで、それはどうせ粗《あら》いものせえ。それでも気は優しい人だった。今じゃ何でもよっぽどの身上《しんしょう》を作ったろうえ。私はその時分は、身上のことなぞ考えてもいなかったで、お産のあと子供が死んでから、どう言われても帰る気になれなかった。それでも、その子が育ってでもいれば、また帰る気になったかも知れないけれど。」
「そうすれば、私たちだっていなかったかも知れないわ。」
「そうせえ。」と、母親は弛《ゆる》んだような口元に笑《え》みを浮べながら、娘の顔を眺めた。
田舎の思い出|咄《ばなし》がいろいろ出た。お庄はべったり体を崩して、いつまでも聴き耽《ふけ》っていた。するうちに疲れたような頭脳《あたま》が懈《だる》くなって来た。
「叔父さんはまた内儀《かみ》さんを貰うでしょうか。」お庄は訊き出した。
「さあ、どうするだかね。先がまだ長いでね。」
お庄は倦《う》み疲れたような心持で、壁に凭《もた》かかって、そこに取り散らかったものを、うっとりと眺めていた。
五十三
四十九日の蒸物《むしもの》を、幸さんや安公に配ってもらってから、その翌日《あくるひ》母親とお庄とは、谷中《やなか》へ墓詣りに行った。その日はおもに女連であった。公使館の通訳の細君に、丸山の内儀《かみ》さんたちが家へ集まって、それから一緒に出かけた。子供がよく遊びに来るので、近しくしていた向うのある大店《おおだな》の通い番頭の内儀《かみ》さんも、その子供をつれてやって来た。この内儀さんは、叔母が存命中ちょくちょく芝居を見に行った。入院中も時々来て見舞ってくれた。その子供は見て来た芝居の真似をして衆《みんな》を笑わせるほど、ませて来た。お庄は子を膝に抱いて俥《くるま》に乗った。
寺で法師《ぼうず》がお経を読んでいる間も、一回はにやけた風をさせたその子供の仕草で始終笑わされ通しであった。お庄も母親もどこかに叔母の遺《のこ》して行った物を体につけていた。お庄は小紋の紋附に、帯を締めて、指環で目立つ大きい手を気にしながら、塔婆《とうば》を持って衆《みんな》と一緒に墓場の方へ行った。
「そんなに塗《なす》くってどうするつもりだ。まるで粉桶から飛び出したようだ。」と、出がけに叔父はお庄の顔を見て笑ったが、お庄は欲にかかってやっぱり塗り立てて出た。
帰りに衆《みんな》は上野をぶらぶらした。池には蓮がすっかり枯れて、舟で泥深《どろぶか》い根を掘り返している男などがあった。森もやや黄ばみかけて、日射《ひかげ》が目眩《まぶ》しいくらいであった。学生風の通訳の細君が、そこから一ト足先に別れて行ってから、一同は広小路の方へ出て、それから梅月《ばいげつ》で昼飯を食べた。大阪生れの丸山の内儀さんは、お庄にそう言って酒を一銚子誂えて、天麩羅《てんぷら》に箸をつけながら、猪口《ちょく》のやり取りをした。
斑点《しみ》の多い母親の目縁《まぶち》が、少し黝赭《くろあか》くなって来た時分に、お庄の顔もほんのりと染まって来た。色の浅黒い、痩《や》せぎすな向うの内儀さんは、膝に拡げた手拭の上で、飯を食べはじめた。
そこを出たのは、もう日の暮れ方であった。
叔父がまた新たに成り立とうとしている会社のことで、家で仲間と相談会を開いていた。叔父は真面目な他の会社などへ勤めて、間弛《まだる》っこい事務など執っていられなかった。子供に続いて、妻が長患《ながわずら》いのあげくに死んでから、家というものを、あまり考えなくなった。それだけ心が安易にもなっていたし、緩《ゆる》んでもいた。
しばらく絶えていた烏森の方へ、叔父はまたちょくちょく足を運び始めた。家にいる時は、寝ても起きても新しく企てられた会社のことを考えていた。
「どんな向きの会社だか知らないけれど、そんなことをやりはねて、また失敗《しくじ》るようなことがあっては困るでね。それよりかやっぱり口を捜して、月給を取っていた方が気楽のように思うがね。」母親は時々弟に頼むように意見をした。これという資本もない考案中の会社が、どうせいかさま[#「いかさま」に傍点]なものだということが、母親の頭脳《あたま》にも不安に思われた。
「まあ黙って見ておいでなさい。私も今となって、不味《まず》い弁当飯も食っていられないで。」
石川島へ出ている時分セメントの取引きをして親しくなった男や、金貸しや地所売買の周旋屋をしている丸山などと一緒に叔父はその会社を盛り立てようとしていた。中には古い友達の中学の先生もあった。
金六町の方に設けられたその事務所へ、やがて一家が引き移ることになった。そこは灰問屋と舟宿との間に建った河岸《かし》に近いところであった。
田舎から出た当時から、方々持ち廻ったお庄親子の古行李が、叔父の荷物に紛れて、またそこの二階へ積み込まれることになった。
五十四
この家の格子先へ、叔父の能筆で書いた看板が掲《か》けられたり、事務員募集の札が張られたりした。毎日寄って来る人たちは、店にならべた椅子|卓子《テーブル》によって、趣意書や規則書のような刷り物の原稿を書いたり、基金や会員募集の方法を講じたりした。基金はまだ刷り物に書き入れてある額に達していなかった。会社のする仕事は、無尽のような性質を帯びた手軽な一種の相互保険であった。
二、三人の募集員が、汚い折り鞄を抱えて、時々格子戸を出入《ではい》りした。昼になると、お庄はよく河岸《かし》の鰻屋《うなぎや》へ、丼を誂《あつら》えにやられた。
ここに寝泊りしている、若い事務員がただ独り、新しい帳簿のならんだデスクの前に坐って、退屈そうに、外を眺めたり、新聞を見たりしていた。そして時々想い出したように、会員名簿のようなものを繰ったり、照会《といあわせ》の端書に返辞を書いたり、会費の集まり高を算盤《そろばん》で弾《はじ》いたりしていた。
事務員が、日当りの悪い三畳の室《ま》に、薄い蒲団に包《くる》まって、まだ寝ているうちに、叔父は朝飯の箸も取らずに、蒼い顔をして出かけて行った。
長いあいだ少し積んで来た貯金を提《さ》げて仲間に加わって来た中学の教師が、二階で昨夜《ゆうべ》遅くまで、叔父と何やら争論めいた口を利き合っていたことが、お庄|母子《おやこ》も下で聞いていて気にかかった。後では一緒に碁など打って、平常《いつも》のような調子で別れたが、叔父の顔色はよくなかった。二人は事務員に帳簿を持ってこさして、長いあいだ細かしいことを話し合っていた。
「あの人は、もう手を退《ひ》きたいとでも言うだか。」
ランプの下で、白足袋《しろたび》を綴《つづ》くっていた母親は、手の届かぬ背《せなか》の痒《かゆ》いところを揺《ゆす》りながら訊いた。
叔父はお庄の退《ど》いた火鉢の前の蒲団に坐って、莨《たばこ》を喫《ふか》した。
「なあにそうでもない。あの男にとっては、大切な金だでやっぱり気を揉《も》むだ。」
「金を返せという話にでも来たろう。」
「それほど大した金でもない。」叔父は欠《あくび》をしながら言っていた。
お庄は剛愎《ごうふく》なような叔父の顔を、傍からまじまじ見ていた。この会社の崩れかかっていることは、あれほど毎日集まって来た人が、にわかに足踏みをしなくなったことだけでも解ると思った。頚筋《くびすじ》や肩のあたりが、叔母のいたころから比べると、著しい痩せが目立って、影が薄いように思えた。
叔父が出て行くと、やがて母子は差し向いに朝飯の膳に向っ
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