の衣兜《かくし》から莨《たばこ》を出して吸いながら、いつまでもそこを動かなかった。
 お庄はまた俥《くるま》で、夜遅く叔父を迎いに出かけた。叔父の居所はじきに解った。そこは烏森のある小さい待合で、叔父はその奥まった小室《こま》に閉じ籠って女ぬきで、酒を飲みながら花に耽《ふけ》っていた。一座はお庄の知らない顔ばかりであった。顎鬚《あごひげ》の延びた叔父の顔は、蒼白い電燈の光に窶《やつ》れて見えた。

     三十九

 叔母の健康が、また綯《よ》りが戻ったように悪い方へ引き戻されて来た。暮から春へかけての叔父の一身の動揺が、一家の人々にも差し響きを起さずにはいなかった。
 責めを引いて会社を罷《や》めてから、叔父は閉じ籠って毎日碁ばかり打っていた。叔父のかなりに使えることを知っている人たちは、他へ周旋しようと言って勧めてくれたが、叔父は当分遊ぶつもりだと言って応じなかった。
「何を計画《もくろ》んでいるだか知らないが、月給はちっと下っても、やっぱり出た方がいいかと思うがね。」と、母親は弟嫁と一緒になって、叔父の心を動かそうとしたが、叔父は姉や妻にも、へこたれたような顔を見せるのが、忌々《いまいま》しかった。
 株屋仲間といったような連中が、時々遊びに来た。一緒に会社を退いた人たちも、その当座寄ると触《さわ》ると儲け口を嗅《か》ぎつけようとして、花を引いていても目の色が変っていたが、そんな人たちも長くこの家を賑わしてはいなかった。会社で引き立ててやったような人たちや、一緒に遊んであるいた仲間も姿を見せなくなった。
「あれほど繁々《しげしげ》来た小原さんも、近ごろはかんぎらともしないね。」と、叔母は、お庄や母親を奥へ呼んで、内輪だけで花札を調べながら、時々そのころの賑やかだったことを想い出していた。そうして花を引いても気の興《はず》むということがなかった。やがて母親の巾着から捲き揚げた小銭をそこへ投《ほう》り出して、叔母は張りが抜けたように、札を引き散らかした。
 始終眠っているような母親は、自分の番が来たのも知らずにいては、お庄に笑われた。
「阿母さんは誰にお辞儀しているんでしょう。」と、お庄は下から覗き込んでは、げらげら笑い出した。
 母親は、そうしていながら、いつまでも札を手から棄てなかった。
「もう済んだのよ。堪忍してあげますよ。」
「姉さまも花はどのくらい好きだか……。」と、叔母も業腹《ごうはら》のような笑い方をした。
「好きというでもないけれど……。」と、母親はやっと性がついたような顔をあげた。
 お庄はせッせと札を匣《はこ》へしまい込んで、蒲団《ふとん》の上に置いた。まだ寝るには早かった。三人は別の部屋へ散って行った。
 母親は、茶の間の方で、また針箱を拡げはじめた。するうちに、叔父が講釈の寄席《よせ》から帰って来た。
 淋しくなると、叔父はよくお庄を引っ張り出して、銀座の通りへ散歩に出かけた。芝居や寄席のような、人の集まりのなかへも入って行ったが、傷《て》を負ったようなその心は、何に触れても、深く物を考えさせられるようであった。お庄は高座の方へ引き牽けられている叔父の様子を眺めると、いたましいような気がしてならなかった。叔父の横顔には、四十前とは思えぬくらい、肉の衰えが目に立った。
「私も、もう一度は盛り返してみせるで、その時は、お前にだって立派な支度をしてくれる。」と、叔父は通りの陳列などを見て行きながらいいわけらしくお庄に言って聴かせた。
 築地で掛りつけの医師に、局部を洗ってもらっていた叔母の妊娠だということが、間もなくその医師にも感づけて来た。叔母はまた日本橋の婦人科の医師に診《み》てもらった。
「こんなものをむやみと洗っちゃたまらない。確かに妊娠です。もう四ヵ月になっています。」その医師は断言した。
 去年の夏のような水気が、また叔母の手足に張って来た。陽気が暖かくなるにつれて、体がだんだん重くなって来た。産をするまでは、荒い療治もしかねる局部の爛《ただ》れが、拡がって来るばかりであった。叔母は聞いていても切なそうな呻吟声《うなりごえ》を挙げて、夜も寝られない大きな体を床の上に転がっていた。

     四十

 箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》のなかに、赤子に着せる白や赤や黄のような着物が、一枚一枚数が殖えて来る時分に、叔母の体もだんだん重くなって来た。叔母はほとんど十年目で三度目の出産に逢うのであった。始末のよい叔母は、田舎住居《いなかずまい》のそのころから持ち越して来た、茜木綿《あかねもめん》や麻の葉の型のついた着物をまた古葛籠《ふるつづら》の底から引っ張り出して来て眺めた。産れて百日生きていた子供のために拵えたという、節の多い田舎織りの黒斜子《くろななこ》の紋附などもあった。こんな子供の顔は、今想い出そうとしても何の印象も残っていなかった。お庄はその着物を見ながら、げらげら笑い出した。三十にもなって、まだ初産《ういざん》のような騒ぎをしている叔母の様子がおかしかった。
「四十になって初産する人だって、世間には随分ありますよ。お庄ちゃんだってなにかと言ってるうちに、もうじき三十ですよ。」
「三十ですって……。」お庄はあまり嵩高《かさだか》なような気がして、そんな年数《としかず》の考えが、どうしても頭脳《あたま》へ入らなかった。
「私三十なんて厭ですね。」
「厭だってしかたがない、もう目擦《めこす》る間《ま》だから。それにお嫁にでも行って自分で世帯を持ってごらん、それこそすることは多くなって来るし、苦労は殖えるばかりだし、年を拾うのがおかしいくらい早いものですよ。」
 産婆が、手提鞄《てさげ》をさげてやって来ると、叔母は四畳半の方へ自分で蒲団を延べて、診てもらった。
「男か女か、まだ解りませんかね。」叔母は腹を擦《さす》っている産婆に気遣《きづか》わしげに訊《き》いた。
 お庄は手洗い水を持って行って、襖《ふすま》の蔭で聞いていた。
「そうね、解らないこともありませんよ、まア男と思っていらっして下さいませ。何しろ大きゅうございますからね。おおこの動くこと。」と、九州訛《きゅうしゅうなま》りのあるその産婆は、これが手、これが肩などと言って、一々妊婦の手に触らせていた。
「六月《むつき》やそこいらで、そう育っているのでは、お産がさぞ重いでしょうね。」叔母はまた自分の年取っていることを気にした。
「そんなことがあるもんですか。少しぐらい体が弱っていたって、私が大丈夫うまく産ませておあげ申しますから……それにあなたは初産《ういざん》じゃないのですからね。年取ってからの初産は少し辛《つろ》うございますよ。」
 産婆は象牙《ぞうげ》に赭《あか》く脂《あぶら》の染み込んだ聴診器を鞄にしまい込むと、いろいろのお産の場合などを話して聴かせた。畸形《かたわ》や双児《ふたご》を無事に産ませた話や、自分で子宮出血を止めたという手柄話などが出た。
 叔父は苦い顔をして、座敷の縁の方に新聞を見ていた。叔母が妊娠と解ってから、夫婦はまだ見ない子のことを、いろいろに考えていた。が、叔父は時々自分の年とその子の年とを繰って見たりなどした。
「もう晩《おそ》い、私が五十七になってやっと二十《はたち》だで。」
 叔母はまた死んだ子の年など数えはじめた。
 去年の夏よりも一層、叔母は冷たい物を欲しがった。氷や水菓子を、叔父に秘密《ないしょ》でちょくちょくお庄に取りに走らせた。暑い日は、半病人のような体を、風通しのよい台所口へ這《は》い出して来て、脛《はぎ》の脹《むく》んだ重い足を、冷たい板敷きの上へ投げ出さずにはいなかった。下《しも》の方も始終苦しそうであった。婦人科の若い医者が時々廻って来ては、その方の手当てをしていた。腹に子があるので、思いきった療治もできなかった。
 痛痒《いたがゆ》くなって来ると、叔母は苦しがって泣いていた。それが堪えられなくなると、近所から呼んで来た按摩《あんま》を蚊帳《かや》のなかへ呼び込んでは、小豆《あずき》の入った袋で、患部を敲《たた》かせた。
 お庄が朝目をさますと、薄野呂《うすのろ》のようなその按摩は、じっと坐ったきりまだ機械的に疲れた手を動かしていた。明け方から眠ったらしい叔母の蒼白い顔に、蚊帳の影が涼しく戦《そよ》いでいた。

     四十一

 やがて胎児の死んでいることが、出産前から医師《いしゃ》や産婆に解って来た。しばらく床に就きッきりであった叔母が産気づいて来たのは、それから間もないある日の夕方であった。奥で腹痛を訴える産婦の声を聞きながらお庄はその時食べかけていた晩飯を急いで済ました。
 産婆はじきに駈けつけて来た。
「ちッと早く出るかも知れませんよ。」と、産婆はすぐに白い手術着を被《き》て産婦の側へ寄って行った。産婦は蒼脹《あおぶく》れたような顔を顰《しか》めて、平日《いつも》よりは一層|切《せつ》なげな唸《うな》り声を洩らしていた。そのうちに、電話で報知《しらせ》を受けた医師《いしゃ》が、助手を連れてやって来た。
 叔父は客と一緒に、座敷で碁を打っていた。
「どうせ死んだ塊《かたまり》を引っ張り出すだけのもんだからね、素人《しろうと》が騒いだって何にもなりゃしない。」と言って、平気でぱちりぱちりやっていた。
 二、三度腹が痛んだかと思うと、死んだ胎児はじきに押し出された。死児はふやけたような頭顱《あたま》が、ところどころ海綿のように赭く糜爛《びらん》して、唇にも紅い血の色がなかった。
「男の子ですかね、女の子ですかね。」産婦は後産《のちざん》の始末をしてもらうと、ぐったり疲れてそのまま凋《しぼ》んで行きそうな鈍い目で医師や産婆の顔を眺めて不安そうに尋ねだした。そして落ち入りそうな細い喘《あえ》ぐような呼吸遣《いきづか》いをしていた。
「赤さんは大きな男のお児《こ》ですよ。」と、産婆は死児をそっと次の室《ま》へ持ち出した。そこには母親が、畳の上に桐油《とうゆ》を敷き詰めて、盥《たらい》に初湯《うぶゆ》か湯灌《ゆかん》かの加減を見ていた。どの部屋も、人が動くばかりで、誰も声を立てるものはなかった。
 死んだ赤子は、やがて真白い産着《うぶぎ》を着せられて、二枚折りの屏風《びょうぶ》の蔭に臥《ね》かされた。医師や産婆の帰る時分には長い悩みのあと産婦も安静な眠りに沈んでいた。
「あまり気を揉《も》まして、後で力を落さしても悪いですから、少し落ち着いたら子供の死んでいることをお話しなすった方がいいでしょう。」医師は叔父に注意して引き揚げて行った。
 産婆の指図で、その夜のうちに、子供は壺《つぼ》のなかへ入れられた。何か事があると来てもらうことに決まっている植木屋の幸さんという男が、通りから火消し壺を買って来て、自分で小さいその死骸《しがい》を中へ収めた。その上へ白い片《きれ》が被《か》けられた。
「そんなことだろうと思った。どうせ私《わし》は子に縁がないのだでね。」
 叔父と母親とが、赤子の死んで出たことを話して聞かすと、叔母は片頬《かたほ》に淋しい笑《え》みを見せて、目に冷たい涙を浮べた。
 その一夜は、何となく家が寂しかった。母親と幸さんとは、壺の前に時々線香を立てたり、樒《しきみ》に湿《うるお》いをくれたりしていたが、お庄は爛《ただ》れた頭顱《あたま》を見てから、気味が悪いようで、傍へ寄って行く気になれなかった。
「お此《この》さんは、あまり氷や水菓子が過ぎたもんで、それで腹が冷えて、赤子があんなになったろうえね。」と母親は、夜更けてから、茶の間で衆《みんな》が鮨《すし》を摘《つま》んで茶を飲んでいる時言い出した。
 叔父はそこへ臥《ね》そべりながら、黙っていた。長いあいだ叔母の体が根底から壊されていることや、血の汚れていることが、深く頭脳《あたま》に考えられた。
 叔父はやがて、すごすごと座敷へ入って寝てしまった。
 蒸し暑いような、薬くさいような産室の蚊帳のなかから、また産婦の呻吟声《うめきごえ》が洩れた。お庄と一緒に、そこいらの後片着けをしていた母親は、急いでその部屋
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