り仕切って、永い間の手練《てなれ》の世帯向きのように気が利いた。新吉の目から見ると、することが少し蓮葉《はすは》で、派手のように思われた。けれど働きぶりが活《い》き活きしている。箒《ほうき》一ツ持っても、心持いいほど綺麗に掃いてくれる。始終薄暗かったランプがいつも皎々《こうこう》と明るく点《とも》されて、長火鉢も鼠不入《ねずみいらず》も、テラテラ光っている。不器用なお作が拵《こしら》えてくれた三度三度のゴツゴツした煮つけや、薄い汁物《つゆもの》は、小器用なお国の手で拵えられた東京風のお菜《かず》と代って、膳の上にはうまい新香《しんこ》を欠かしたことがなかった。押入れを開けて見ても、台所へ出て見ても、痒《かゆ》いところへ手が届くように、整理が行き届いている。

     二十一

 新吉は何だかむず痒いような気がした。どこか気味悪いようにも思った。
「そんなにキチキチされちゃかえって困るな。」と顔を顰《しか》めて言う。「商売が商売だから、どうせそう綺麗事に行きゃしない。」
「でも心持が悪いじゃありませんか。」と、お国は遠慮して手を着けなかったお作の針函《はりばこ》や行李《こうり》や、ほどきものなどを始末しながら、古い足袋《たび》、腰巻きなどを引っ張り出していた。「何だか埃々《ごみごみ》してるじゃありませんか、お正月が来るってのに、これじゃしようがないわ。私はまた、自分の損得にかかわらず、見るとうっちゃっておけないという性分だから……。もういつからかここが気にかかってしようがなかったの。」といろいろな雑物《ぞうもの》を一束にしてキチンと行李にしまい込んだ。
 新吉は苦い顔をして引っ込む。
 こういうような仕事が二日も三日も続いた。お国はちょいちょい外へ買物にも出た。〆飾《しめかざ》りや根松を買って来たり、神棚《かみだな》に供えるコマコマした器などを買って来てくれた。帳場の側に八寸ばかりの紅白の鏡餅《かがみもち》を据えて、それに鎌倉蝦魚《かまくらえび》や、御幣を飾ってくれたのもお国である。喰積《くいつ》みとかいうような物も一ト通り拵えてくれた。晦日《みそか》の晩には、店頭《みせさき》に積み上げた菰冠《こもかぶ》りに弓張《ゆみはり》が点《とも》されて、幽暗《ほのぐら》い新開の町も、この界隈《かいわい》ばかりは明るかった。奥は奥で、神棚の燈明がハタハタ風に揺《ゆら》めいて、小さい輪飾りの根松の緑に、もう新しい年の影が見えた。
 お国は近所の髪結に髪を結わして、小紋の羽織など引っかけて、晴れ晴れした顔で、長火鉢の前に坐っていた。
 九時過ぎに、店の方はほぼ形《かた》がついた。新吉は小僧二人に年越しのものや、蕎麦《そば》を饗応《ふるも》うてから、代り番こに湯と床屋にやった。店も奥もようやくひっそりとして来た。油の乏しくなった燈明がジイジイいうかすかな音を立てて、部屋にはどこか寂しい影が添わって来た。黝《くろず》んだ柱や、火鉢の縁に冷たい光沢《つや》が見えた。底冷えの強い晩で、表を通る人の跫音《あしおと》が、硬く耳元に響く。
 新吉は火鉢の前に胡坐《あぐら》をかいて、うつむいて何やら考え込んでいた。まだ真《ほん》の来たてのお作と一所に越した去年の今夜のことなど想い出された。
「何をぼんやり考えているんです。」とお国は銚子《ちょうし》を銅壺《どうこ》から引き揚げて、きまり悪そうな手容《てつき》で新吉の前に差し出した。
 新吉は、「何、私《あっし》や勝手にやるで……。」とその銚子を受け取ろうとする。
「いいじゃありませんか。酒のお酌《しゃく》くらい……。」お国は新吉に注《つ》いでやると、「私もお年越しだから少し頂きましょう。」と自分にも注いだ。
 新吉は一杯飲み干すと、今度は手酌でやりながら、「どうもいろいろお世話さまでした。今年は私もお蔭で、何だか年越しらしいような気がするんで……。」

     二十二

 お国は手酌で、もう二、三杯飲んだ。新吉は見て見ぬ振りをしていた。お国の目の縁が少し紅味をさして、猪口《ちょく》をなめる唇にも綺麗な湿《うるお》いを持って来た。睫毛《まつげ》の長い目や、生《は》え際《ぎわ》の綺麗な額の辺《あたり》が、うつむいていると、莫迦《ばか》によく見える。が、それを見ているうちにも新吉の胸には、冷たい考えが流れていた。この三、四日、何だか家中《うちじゅう》引っ掻き廻されているような、一種の不安が始終|頭脳《あたま》に附き絡《まと》うていたが、今夜の女の酒の飲みッぷりなどを見ると、一層不快の念が兆《きざ》して来た。どこの馬の骨だか……という侮蔑《ぶべつ》や反抗心も起って来た。
 お国は平気で、「どうせ他人のすることですもの、お気には入らないでしょうけれど、私もこの暮は独りで、つまりませんよ。あの二階の部屋に、安火《あんか》に当ってクヨクヨしていたって始まらないから、気晴しにこうやってお手伝いしているんです。春が来たって、私は何の楽しみもありゃしない。」
「だが、そうやって私《あっし》のとこで働いていたってしようがないね。私は誠に結構だけれど、あんたがつまらない。」と新吉はどこか突ッ放すような、恩に被《き》せるような調子で言った。
 お国は萎《しょ》げたような顔をして黙ってしまった。そうして猪口を下において何やら考え込んだ。その顔を見ると、「新さんの心は私にはちゃんと見え透いている。」と言うようにも見えた。新吉も気が差したように黙ってしまった。
 しばらくしてから、女は銚子を持ちあげて見て、「お酒はもう召し食《あが》りませんか。」と叮寧《ていねい》な口を利く。
「小野さんも、この春は酒が飲めねえで、弱っているだろう。」と新吉はふと言い出した。
 それから二人の間には、小野の風評《うわさ》が始まった。お国はあの人と知っているのは、もう二、三年前からのことで、これまでにも随分いい加減な嘘《うそ》を聞かされた。そのころは自分もまだ一向|初《うぶ》である若い書生肌の男と一緒に東京へ出て来た。宅《うち》は田舎で百姓をしている。その男が意気地《いくじ》がなかったので、長い間苦労をさせられた。それから間もなく小野と懇意になった。会社員だという触込みであったが、覩《み》ると聴くとは大違いで、一緒に世帯を持って見ると、いろいろの襤褸《ぼろ》が見えて来た。金は時たま三十四十と攫《つか》んでは来るが、表面《うわべ》に見せているほど、内面は気楽でなかった。才は働くし、弁口もあるし、附いていれば、まさかのめって死ぬようなこともあるまいけれど、何だか不安でならなかった。着物も着せてくれるし、芝居も見せてくれるが、それはその場きりで、前途《さき》の見越しがつかぬから、それだけで満足の出来よう道理がない……とお国はシンミリした調子で、柄にないジミな話をし始めた。
「私|真実《ほんとう》にそう思うわ。明けるともう二十五になるんだから、これを汐《しお》に綺麗に別れてしまおうかと……。」
 新吉は黙っていた。聞いているうちに、何だか女というものの心持が、いくらか胸に染《し》みるようにも思われた。

     二十三

 正月になってから、新吉は一度お作を田舎に訪ねた。
 町が寂れているので、ここは春らしい感じもしなかった。通り路《みち》は、どこを見ても、皆窓の戸を鎖《さ》して寝ているかと思う宅《うち》ばかりで、北風に白く晒《さら》された路のそこここに、凍《い》てついたような子守《こもり》や子供の影が、ちらほら見えた。低い軒がどれもこれもよろけているようである。呉服屋の店には、色の褪《さ》めたような寄片《よせぎれ》が看《み》るから手薄に並べてある。埃深《ほこりぶか》い唐物屋《とうぶつや》や古着屋の店なども、年々衰えてゆく町の哀れさを思わせている。ふといつか飛び込んだことのある小料理屋が目に入った。怪しげなそこの門を入って、庭から離房《はなれ》めいた粗末な座敷へ通され、腐ったような刺身で、悪い酒を飲んで、お作一家の内状を捜《さぐ》った時は、自分ながら莫迦莫迦しいほど真面目であった。新吉は外方《そっぽう》を向いて通り過ぎた。
 こういう町に育ったお作の身の上が、何だか哀れなように思われてならなかった。この寂れた淋しい町に、もう二月の以上も、大きい腹を抱えて、土臭い人たちと一緒にいることを思うと、それも可哀そうであった。ショボショボしたような目、カッ詰ったような顔、蒼白い皮膚の色、ザラザラする掌《て》や足、それがもう目に着くようであった。何だか済まないような気もしたが、行って顔を見るのが厭なような心持もした。
 一里半ばかり、鼻のもげるような吹曝《ふきさら》しの寒い田圃道《たんぼみち》を、腕車《くるま》でノロノロやって来たので、梶棒《かじぼう》と一緒に店頭《みせさき》へ降されたとき、ちょっとは歩けないくらい足が硬張《こわば》っていた。
 車夫《くるまや》に賃銀を払っていると、「マア!」と言ってお作が障子の蔭から出て来た。新吉が新調のインバネスを着て、紺がかった色気の中折を目深《まぶか》に冠った横顔が、見違えるほど綺麗に見え、うつむいて蟇口《がまぐち》から銭を出している様子が、何だか一段も二段も人品が上ったように思えた。
「よく来られましたね。寒かったでしょう。」とお作は帽子やインバネスを脱がせて、先へ奥に入ると、
「阿母《おっか》さん、宅《うち》でいらっしゃいましたよ。」と声をかけた。
 新吉が薄暗い茶の室《ま》の火鉢の側に坐ると、寝ぼけたような顔をして、納戸のような次の室《ま》から母親が出て来た。リュウマチが持病なので、寒くなると炬燵《こたつ》にばかり潜《もぐ》り込んでいると聞いたが、いつか見た時よりは肥《ふと》っている。気のせいか蒼脹《あおぶく》れたようにも見える。目の性が悪いと見えて、縁が赭《あか》く、爛《ただ》れ気味《ぎみ》であった。
 母親は長々と挨拶をした。新吉が歳暮の砂糖袋と、年玉の手拭《てぬぐい》とを一緒に断わって出すと、それにも二、三度叮寧にお辞儀をした。
 しばらくすると、嫂《あによめ》も裏から上って来て、これも莫迦叮寧に挨拶した。兄貴はと訊くと、今日は隣村の弟の養家先へ行ったとかで、宅《うち》には男片《おとこぎれ》が見えなかった。

     二十四

 嫂というのも、どこかこの近在の人で、口が一向に無調法な女であった。額の抜け上った姿《なり》も恰好《かっこう》もない、ひょろりとした体勢《からだつき》である。これまでにも二度ばかり見たが、顔の印象が残らなかった。先《さき》もそうであったらしい。今日こそは一ツ、お作の自慢の婿さんの顔をよく見てやろう……といった風でジロジロと見ていた。お作はベッタリ新吉の側へくっついて坐って、相変らずニヤニヤと笑っていた。
「サア、ここは悒鬱《むさくる》しくていけません。お作や、奥へお連れ申して……何はなくとも、春初めだから、お酒を一口……。」
「イヤ、そうもしていられません。」と新吉は頭を掻いた。「留守が誠に不安心でね……。」
「いいじゃありませんか。」お作は自分の実家《さと》だけに、甘えたような、浮《うわ》ずったような調子で言う。
「サア、あちらへいらっしゃいよ。」
 新吉は奥へ通った。お作が母親や嫂に口を利くのを聞いていると、良人の新吉のことを、主人か何かのように言っている。嫂に対してはそれが一層激しい。「あまり御酒《ごしゅ》は召し食《あが》りませんのですから。」とか、「宅《うち》は真実《ほんとう》にせかせかした質《たち》でいらっしゃるんですから……。」とかいう風で……が、嫂の耳には格別それが異様にも響かぬらしい。「ヘエ、さいですか。」と新吉の顔ばかり見ている。新吉はこそばゆいような気がした。
 しばらくすると、お作と二人きりになった。藁灰《わらばい》のフカフカした瀬戸物の火鉢に、炭をカンカン起して、ならんで当っていた。お作はいつの間にか、小紋の羽織に着替えていた。が東京にいた時より、顔がいくらか水々している。水ッぽいような目のうちにも一種の光があった。腹も思ったほど大きくもなかったが、それで
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