新吉は黒い指頭《ゆびさき》に、臭い莨を摘《つま》んで、真鍮《しんちゅう》の煙管《きせる》に詰めて、炭の粉を埋《い》けた鉄瓶《てつびん》の下で火を点《つ》けると、思案深い目容《めつき》をして、濃い煙を噴《ふ》いていた。
 六畳の部屋には、もう総桐《そうぎり》の箪笥が一棹|据《す》えられてある。新しい鏡台もその上に載せてあった。借りて来た火鉢《ひばち》、黄縞《きじま》の座蒲団《ざぶとん》などが、赭《あか》い畳の上に積んであった。ちょうど昼飯を済ましたばかりのところで、耳の遠い傭《やと》い婆さんが台所でその後始末をしていた。
 新吉はまだ何やらクドクド言っていた。小野の見積り書きを手に取っては、独りで胸算用をしていた。ここへ店を出してから食う物も食わずに、少しずつ溜めた金がもう三、四十もある。それをこの際あらかた噴《は》き出してしまわねばならぬというのは、新吉にとってちょっと苦痛であった。新吉はこうした大業な式を挙げるつもりはなかった。そっと輿入《こしい》れをして、そっと儀式を済ますはずであった。あながち金が惜しいばかりではない。一体が、目に立つように晴れ晴れしいことや、華《はな》やかなこと
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