、工科出の地質学者であったが、召集されるとすぐ、深くも思い決した体で、心を後に残さないように、日頃愛用していたライカアやレコオドを残らず叩《たた》き壊《こわ》し、潔《いさぎよ》く征途に上ったものだったが、一ト月の後にはノモンハンで挺身《ていしん》奮闘して斃《たお》れてしまった。同じ奉公は奉公に違いなく、町の与太ものの意気もはなはだ愛すべきだが、科学人の白熱的な魂の燃焼も、十分|讃《ほ》め称《たた》えられるべきだと思われた。
均平は長くもこの病室にいなかった。ただ均一を見舞うだけの旅行であったが、逢《あ》ってみると別に話すべきこともなく、今の自分の姿にも負《ひ》け目《め》が感じられ、後は加世子に委《まか》せて、ベランダヘ出て風に吹かれていた。均平はこの年になっても持前のわがままがぬけず、別にこれと言って希望もなく、今後の生活の設計があるのでもなかったが、そうかと言ってそこに全く安住している気にもなれず、絶えず何か焦躁《しょうそう》を感じていた。
「もう帰るとしようか。また来るかも知れないが……。」
汐《しお》を見て均平は椅子《いす》を離れた。
「そうね。」
兄との話の途切れたところで、加世子も言った。
均平は均一の傍へ寄って、痩《や》せた手を握り、
「俺も何か物質的に援助もしたいと思うのだが、今のところその力はない。お前たちのためには、まことに頼りのない父だが、これもどうも仕様がない。辛抱も大事だが金も必要だからね。」
「いや、そんな心配はありません。」
「丈夫になったら、元通り勤めることになってるのだろうね。」
「まあそうです。しかし三年も四年も休んでいると、すベてがそれだけ後《おく》れてしもうわけです。この損失を取り還《かえ》すのは大変です。僕はもし丈夫になったら、今度は方嚮《ほうこう》をかえるつもりです。」
「方嚮をかえるって……。」
「向うで懇意になった映画界の人がいますから、あの世界へ入ってみようかとも思っています。」
「それもいいだろうが、三村の老人や他の皆さんともよく相談することだね。」
「お祖父《じい》さんは僕のことなんか、そう心配していません。」
「とにかく体が大事だ。偉くなる必要もないから、幸福にお暮らしなさい。」
「は。」
均一は素直に頷《うなず》いた。
均平は思い切って病室を出てしまった。何か足が重く、心が後へ残るのだったが、わざと銀子のことを考えたりして、玄関口へ出た。
八
均平はしばらく玄関前で、加世子たちの出て来るのを待ってから、やがて製材所の傍《そば》を通って街道《かいどう》へ登った。この道を奥の方へと荷馬車の通うのにも出逢《であ》ったが、人里がありそうにも思えない荒寥《こうりょう》たる感じで、陰鬱《いんうつ》な樹木の姿も粗野であった。
途中に、それでも少し小高い処《ところ》に、ペンキ塗りの新築のかなり大きな別荘があり、レコオドの音が朗らかに聞こえ、製氷会社と土地会社を兼ねた事務所があったりした。
「お兄さま感謝していましたわ。」
加世子は父と並んで歩き出した時言った。
「感謝!」
「それからお兄さまこのごろになって、お父さまの心持がやっと解《わか》るような気がすると言っていましたけれど。」
「可哀《かわい》そうに病気して気が弱くなったんだろう。」
「それもあるでしょうけれど、あれで随分しっかりしたところもあるわ。」
「何しろあの時分は、お母さんが少し子供に甘くしすぎたんだよ。己《おれ》は子供の時から貧乏に育って、少しいじけていたもんだから、お母さんのやることが気に入らなかった。学生のくせに毛糸のジャケツを買ったり、ゴムの雨靴を買ったりさ。己は下駄箱《げたばこ》のなかで、それを見つけてかっとなって引き裂いてしまったものだよ。あの時分は己も頭脳《あたま》が古かったし、今から思うと頑固《がんこ》すぎたと思うよ。明治時代に書生生活をしたものには、どうかするとそういうところがあったよ。そのころから均一はコオヒーを飲んだり、音楽を聞いたり、映画や歌劇を見たりしたものだ。もっとも己も最近では若いものに感染《かぶ》れて、だんだんそういうものの方が好きになった。」
「そうね。映画御覧になります?」
「時々見る。退屈|凌《しの》ぎにね。しかしこのごろはいい画《え》がちっとも来ないじゃないか。」
「え、御時勢が御時勢だから。でもたまには……。」
「ひところは均一も、音楽家にでもなりそうで、どうかと思っていたが、そうでもなかった。己も明治時代の実利主義派で、飯にならんものはやっても困ると思っていたものだ。近代的な教養というものに、まるで理解がなかった。」
「けれど今はまたそういう時代じゃないんでしょうか。」
「そうも言えるが、それとはまた違うようだ。もっとも世の中にはそういう階層もないとはいえん。しかしみな頭脳《あたま》がよくなって、単に古いものを古いなりに扱っているのではなく、時代の視角で新しい解釈を下そうとしているようだ。己は一切傍観者で、勉強もしないから何も解《わか》りはしないけれど。」
「そういえばお兄さまも少し変わって来たわ。」
「どういうふうに。」
「どうといって説明はできないけれど、何しろ一年の余も大陸の風に吹かれていましたから。」
ぼつぼつ話しながら、二人は青嵐荘近くまで来ていた。かれこれ十時半であった。
部屋は一晩寝ただけに、昨日着いた時よりも親しみが出来、均平はここで一ト月も暮らし、自分をよく考えてみるのもよいかも知れぬと思ったが、そういう機会はこれまでにもなかったわけではなく、本当に考える気なら、それが絃歌《げんか》の巷《ちまた》でも少しも差《さ》し閊《つか》えないはずだと思われた。
しばらくお茶を呑《の》んで休んでから、加世子が頼んだタキシイが来たところで、三人はまた打ち揃《そろ》って山荘を出た。
上諏訪でおりたのは、十二時過ぎであった。
「どうしましょう、私お腹《なか》がすいたんですの。フジ屋へでもお入りになりません?」
「食事ならホテルでしよう。買物はその後になさい。」
ホテルまではちょっと間があった。銀子に加世子を紹介したところで、こだわりのない銀子のことだから加世子に悪い感じを与えるはずもなく、反対に銀子にもいやな印象を与えるわけもなく、これを機会にたまには逢っても悪くはないし、夙《はや》く母に別れて愛に渇《かつ》えている加世子にとって、時にとっての話相手になるのではないかと、均平は自分勝手にそんなことを考えていた。
九
銀子はちょうどつまらなそうに独りでサロンにいて、グラフを読んでいたが、サアビス掛りのボオイが取り次ぎ、均平が入って行った。
「退屈したろう。」
均平が帽子を取ると、
「そんなでもない。」
と素気《そっけ》なく言ってすぐ入口にまごついている加世子に目を見張った。この眼も若い時は深く澄んで張りのある方だったが、今は目蓋《まぶた》にも少し緩《たる》みができていた。
「お嬢さんでしょう。」
「そうだよ。上諏訪へ遊びに行くというから、連れて来たんだ。あすこは病院だけは素敵だが、何しろ荒い山で全くの未懇地だ。」
そう言って均平が、振り返ってにやり笑うので、加世子も口元ににっこりして、照れくさそうに父の側へ寄って来た。
「いらっしゃい。」
銀子もざっくばらん[#「ざっくばらん」に傍点]に挨拶《あいさつ》した。彼女は客商売をしたに似合わず、性分としてたらたらお愛相《あいそ》のいえない方であった。好いお嬢さんねとか、綺麗《きれい》ねとか肚《はら》に思っていても口には出せないのだった。
「均一さんは。」
「心配するほどのこともなさそうだよ。」
「ここも一杯よ。一番上等の部屋が一つだけしかなかったんですの。でも皆さん食事は。」
「あすこのホテルではひどいものを食わされて、閉口したよ。昼はこっちで食うつもりで。」
銀子も食堂の開くのを待っていたところなので、ボオイに四人分用意するように頼み、揃《そろ》って食卓に就《つ》いた。食堂の窓からは渚《なぎさ》に沿って走っている鉄道の両側にある人家や木立をすかして、漂渺《ひょうびょう》たる、湖水が見えた。
「大変ですね加世子さん、ずっと付いていらっしゃるんですか。」
銀子はナプキンを拡《ひろ》げながら、差向いの加世子に話しかけた。
「そういうわけでもないんですわ。あの病院は割と陽気ですから、心配ないんですの。いつでも帰ろうと思えば帰れますの。」
「私今日あたりお電話して、事によったら行ってみようかと思ってたんですけれど、出しぬけでも悪いかと思って。」
「いらっしゃるとよかったわ。いらしたことありませんの。」
「ええ、こっち方面はてんで用のない処《ところ》ですから。この辺製糸工場が多いんです。何でも大変景気のいい処だって……。」
彼女は岡谷《おかや》あたりの製糸家だという、大尽客の座敷へ出たことなどを憶《おも》い出していた。
「それは前の世界戦の時分のことだろう。今は糸も売れないから、景気のいい時分田をつぶして桑を植えたのと反対に、桑を引っこぬいて米を作ってるんじゃないか。しかしどんな時代でも、農民は土に囓《かじ》りついてさえいれば食いっぱぐれはない。」
均平はパンを※[#「※」は「てへん+毟」、第4水準2−78−12、348−上13]《むし》りながら、
「己《おれ》も士族の零落《おちぶれ》の親父《おやじ》が、何か見るところがあったか、百姓の家へもらわれて行くところだったんだ。その百姓は大悦《おおよろこ》びで夫婦そろって貰《もら》いに来たそうだが、生まれた子供の顔を見ると、さすがに手放せなかったそうだ。しかしなまじっか学問なんか噛《かじ》りちらすより、土弄《つちいじ》りでもしていた方がよかったかも知れんよ。詩を作るより田を作れって、昔しから言うが、こんな時代になって来ると、鉄や油も必要だが、食糧の方がもっと大切だからね。」
加世子は女中と顔を見合わせ、くすくす笑っていたが、銀子も話は好きで、「大地」の中に出て来る農民の土への執着や、※[#「※」は「虫+奚」、第3水準1−91−59、348−上24]※[#「※」は「虫+斥」、第3水準1−91−53、348−上24]《ばった》の災害の場面について無邪気に話したりした。
それからこの辺の飯の話になり、日本米を食べるために、わざわざ地方へ旅する人も少なくなく、飯食いの銀子も、それが一つの目当てで、同伴したというのだった。
和《なご》やかな食事がすんでから、銀子は三人を三階の洋室へ案内したが、そこからは湖水が一目に見え、部屋も加世子の気に入った。
「いいお部屋ね。」
「よかったら加世子さん、今夜ここにお泊まりになっては。」
十
均平がヴェランダで籐椅子《とういす》にかけ、新聞を見ていると、女たちは部屋のなかで円卓子《まるテイブル》を囲み、取り寄せた林檎《りんご》を剥《む》いて食べながら、このごろの頭髪《あたま》の流行などについてひそひそ話していた。
「私も今生きていると、いい年増《としま》の姉が二人もいたのよ。だけど、それは二人とも結核でしたわ。大きい方の姉は腕の動脈のところがぽつりと腫《は》れて、大学で見てもらっても、初めははっきりしたことが解《わか》らなかった。そのうちにだんだんひどくなってとても痛んで、夜だっておちおち眠れないもんですから、一晩腕をかかえて泣いていましたわ。朝と晩に膿《うみ》を吸い取るために当ててある山繭《やままゆ》とガアゼを、自分でピンセットで剥《は》がしちゃ取り替えていましたけれど、見ちゃいられませんでしたわ。」
「動脈の結核なんてあるの。恐《こわ》いわね。」
「もう一人は肺でしたけれど……、でもそういう時は、女の子ばかり五人もいて、家《うち》も貧乏でしたからできるだけのことはするつもりでも、仕方がないから当人も親たちもいい加減|諦《あきら》めてしまうのね。」
銀子は姉たちの病気の重《おも》なる原因が栄養不良から来たものだということをよく知っていた。そのころ彼女たちは一家
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