れたら来てくれないかと、簡単に用事だけ書いてあった。
 均一と均平の親子感情は、決して好い方とは言えなかった。それはあまりしっくりも行っていなかった。家付き娘以上の妻の郁子《いくこ》との夫婦感情を、そのまま移したようなものだったが、郁子が同じ病気で死んで行ってから主柱が倒れたように家庭がごたつきはじめた時、均平の三村本家に対する影が薄くなり、存在が危くなるとともに、彼も素直な感情で子供に対することができなくなり、子供たちも心の寄り場を失って、感傷的になりがちであった。均一は学課も手につかず喫茶店やカフエで夜を更《ふ》かし煙草《たばこ》や酒も飲むようになった。
 泰一という郁子の兄で、三村家の相続者である均一の伯父《おじ》が、彼を監視することになり、その家へ預けられたが、泰一自身均平とは反《そ》りが合わなかったので、均一の父への感情が和《なご》むはずもなかった。それゆえ出征した時も、入院中も均平はちょっと顔を合わしただけで、お互いに胸を披《ひら》くようなことはなかった。均一は工科を卒業するとすぐ市の都市課に入り、三月も出勤しないうちに、第一乙で徴召され、兵営生活一年ばかりで、出征したのだったが、中学時代にも肋膜《ろくまく》で、一年ばかり本家の別荘で静養したこともあった。
 手紙を読んだ均平の頭脳《あたま》に、いろいろの取留めない感情が往来した。早産後妻が病院で死んだこと、そのころから三村本家の人たちの感情がにわかに冷たくなり、自分の気持に僻《ひが》みというものを初めて経験したこと、郁子の印鑑はもちろん、名義になっている公債や、身につけていた金目の装身具など、誰かいつの間にもって行ったのか、あらかたなくなっていたことも不愉快であった。均平はそれを口にも出さなかったが、物質に生きる人の心のさもしさが哀れまれたり、先輩の斡旋《あっせん》でうっかりそんな家庭に入って来た自身が、厭《いと》わしく思えたりした。世話した先輩にも、どうしてみようもなかったが、均平も醜い争いはしたくなかった。
「どうしたんです。」
 均平が黙って俛《うつむ》いているので、銀子はきいた。
「いや、均一が富士見へ行ってるそうで、己《おれ》に逢いたいそうだ。」
「よほど悪いのかしら。」
「さあ。」
「いずれにしても、加世子さんからそう言って来たのなら、行ってあげなきゃ……何なら私も行くわ。中央線は往《い》ったことがないから、往ってみたいわ。」
「それでもいいね。」
「貴方《あなた》がいやなら諏訪《すわ》あたりで待っててもいいわ。」
「それでもいいし、君も商売があるから、一人で行ってもいい。」
「そう。」
 銀子にはこの親子の感情は不可解に思えた。三村家で二人を引き取り、不安なく暮らしている以上、その上の複雑な愛情とが憎悪とかいうようなむずかしい人情は、無駄だとさえ思えた。彼女はまだ若かった父や母に猫《ねこ》の子のように育てられて来た。銀子の素直で素朴《そぼく》な親への愛情は、均平にも羨《うらや》ましいほどだった。

      二

 汽車が新緑の憂鬱《ゆううつ》な武蔵野《むさしの》を離れて、ようやく明るい山岳地帯へ差しかかって来るにつれて、頭脳《あたま》が爽《さわ》やかになり、自然に渇《かつ》えていた均平の目を愉《たの》しましめたが、銀子も煩わしい商売をしばし離れて、幾月ぶりかで自分に還《かえ》った感じであった。少女たちの特殊な道場にも似た、あの狭いところにうようよしている子供たちの一人々々の特徴を呑《の》み込み、万事要領よくやって行くのも並大抵世話の焼けることではなかった。
 均平もあの環境が自分に適したところとは思えず、この商売にも好感はもてなかったが、ひところの家庭の紛紜《いざこざ》で心の痛手を負った時、彼女のところへやって来ると、別に甘い言葉で慰めることはしなくても、普通商売人の習性である、懐《ふところ》のなかを探るようなこともなく、腹の底に滓《おり》がないだけでも、爽《さわ》やかな風に吹かれているような感じであった。それにもっと進歩した新しい売淫《ばいいん》制度でも案出されるならいざ知らずとにかく一目で看通《みとお》しがつき、統制の取れるような組織になっているこの許可制度は、無下に指弾すべきでもなかった。雇傭《こよう》関係は自発的にも法的にも次第に合理化されつつあり、末梢的《まっしょうてき》には割り切れないものが残っていながら、幾分光りが差して来た。進歩的な両性の社交場がほかに一つもないとすれば、低調ながらも大衆的にはこんなところも、人間的な一つの訓練所ともならないこともなかった。
 もちろん抱え主の側《がわ》から見た均平の目にも、物質以外のことで、非人道的だと思えることも一つ二つないわけではなく、それが男性の暴虐な好奇心から来ている点で、許せない感じもするのであった。それも銀子に話すと、
「果物《くだもの》は誰方《どなた》も青いうち食べるのが、お好きとみえますね。」
 銀子は笑っていたが、その経験がないとは言えず、厠《かわや》へ入って、独りでそっと憤激の熱い涙を搾《しぼ》り搾りしたものだったが、それには何か自身の心に合点《がてん》の行く理由がなくてはならぬと考え、すべてを親のためというところへ持って行くよりほかなかった。
 しかし銀子の抱えのうちには、それで反抗的になる子もあったが、傍《はた》の目で痛ましく思うほどではなく、それをいやがらない子もあり、まだ仇気《あどけ》ないお酌《しゃく》の時分から、抱え主や出先の姐《ねえ》さんたちに世話も焼かさず、自身で手際《てぎわ》よく問題を処理したお早熟《ませ》もあった。
 猿橋《えんきょう》あたりへ来ると、窓から見える山は雨が降っているらしく、模糊《もこ》として煙霧に裹《つつ》まれていたが、次第にそれが深くなって冷気が肌に迫って来た。その辺でもどうかすると、ひどく戦塵《せんじん》に汚《よご》れ窶《やつ》れた傷病兵の出迎えがあり、乗客の目を傷《いた》ましめたが、均平もこの民族の発展的な戦争を考えるごとに、まず兵士の身のうえを考える方なので、それらの人たちを見ると、つい感傷的にならないわけに行かず、おのずと頭が下がるのであった。彼は時折出征中の均一のことを憶《おも》い出し、何か祈りたいような気持になり、やりきれない感じだったが、今療養所を訪れる気持には、いくらかの気休めもあった。
 富士見へおりたのは四時ごろであった。小雨がふっていたが、駅で少し待っていると、誰かを送って来た自動車が還《かえ》って来て、それに乗ることができた。銀子はここを通過して、上諏訪《かみすわ》で宿を取ることにしてあったので、均平は独りで青嵐荘へと車を命じた。ここには名士の別荘もあり、汽車も隧道《トンネル》はすでに電化されており、時間も短いので、相当開けていることと思っていたが、降りて見て均平は失望した。もちろん途中見て来たところでは、稲の植えつけもまだ済まず、避暑客の来るには大分間があったが、それにしても、この町全体が何か寒々していた。
 青嵐荘は町筋を少し離れた処《ところ》にあった。石の門柱が立っており、足場のわるいだらだらした坂を登ると、ちょうど東京の場末の下宿屋のような、木造の一棟《ひとむね》があり、周囲《まわり》に若い檜《ひのき》や楓《かえで》や桜が、枝葉を繁《しげ》らせ、憂鬱《ゆううつ》そうな硝子窓《ガラスまど》を掠《かす》めていた。

      三

 玄関から声かけると、主婦らしい小肥《こぶと》りの女が出て来て、三村加世子がいるかと訊《き》くと、まだ冬籠《ふゆごも》り気分の、厚い袖《そで》無しに着脹《きぶく》れた彼女は、
「三村さんですか。お嬢さまは療養所へ行ってお出《い》でなさいますがね、もうお帰りなさる時分ですよ。どうぞお上がりなすって……。」
 だだっ広い玄関の座敷にちょっとした椅子場《いすば》があり、均平をそこでしばらく待たせることにして、鄙《ひな》びた菓子とお茶を持って来た。風情《ふぜい》もない崖裾《がけすそ》の裏庭が、そこから見通され、石楠《しゃくなげ》や松の盆栽を並べた植木|棚《だな》が見え、茄子《なす》や胡瓜《きゅうり》、葱《ねぎ》のような野菜が作ってあった。
「療養所はこの町なかですか。」
「いいえ、ちょっと離れとりますが、歩いてもわけないですよ。何なら子供に御案内させますですが。」
 均平はそれを辞し、病院は明朝《あした》にすることにした。主婦の話では、このサナトリウムはいつも満員で、この山荘にいる人で、部屋の都合のつくのを待っているのもあり、近頃病院の評判が非常にいいから、均一もきっと丈夫になるに違いないが、少し時日がかかるような話だというのであった。
「そうですか。今年一杯もかかるような話ですか。」
「何でも本当に丈夫になるには、来年の春まで病院にいなければならないそうですよ。」
 病気がそう軽くないということが、正直そうな主婦の口吻《くちぶり》で頷《うなず》けた。
 それからこの辺のこのごろの生活に触れ、昔は米などは残らず上納し、百姓は蜀麦《とうもころし》や稷《きび》のようなものが常食であり、柿《かき》の皮の干したのなぞがせいぜい子供の悦《よろこ》ぶ菓子で、今はそんな時勢から見ると、これでもよほど有難い方だと、老人たちが言っているというのであった。
 均平は少し退屈を感じ、玄関をおりて外へ出てみた。駄荷馬などの砂煙をあげて行く道路を隔てて谷の向うに青い山がそそり立ち、うねった道路の果てにも、どっしりした山が威圧するように重なり合って見え、童蒙《どうもう》な表情をしていた。均平は町の様子でも見ようと思い、さっき通って来た方へ歩いて行ったが、寂しいこの町も見慣れるにつれて、人の姿も目について来て、大通りらしい処《ところ》へ出ると、かなりの薬局や太物屋、文房具屋などが、軒を並べていた。
 ある八百屋《やおや》の店で、干からびたような水菓子を買っている加世子と女中の姿が、ふと目につき、均平は思わず立ち停《ど》まった。加世子は水色のスウツを着て、赤い雨外套《あまがいとう》を和服の女中の腕に預け、手提《てさげ》だけ腕にかけていたが、この方はしばらく見ないうちに、すっかり背丈《せたけ》が伸び、ぽちゃっとしたところが、均平の体質に似ていた。土間に里芋が畑の黒土ごと投《ほう》り出されてあった。
 均平が寄って行くと、加世子がすぐ気づいた。頬《ほお》を心持赤くしていた。
「あら。」
「今帰って来たのか。」
「え、ちょっと療養所へ行って来ましたの。」
「どんな様子かしら。」
 加世子はそれについて、いずれ後でというふうで、何とも言わなかった。
「お手紙ありがとう。」
「いいえ。」
 紙にくるんだ夏蜜柑《なつみかん》にバナナを、女中が受け取ると、やがて三人で山荘の方へ歩き出した。
「お兄さまそう心配じゃないんですけど……多分この一ト冬我慢すればいいんでしょうと思います。」
「そうですか。すぐ行ってみようかと、実は思ったけれど、興奮するといけないと思って。」
「何ですか来てほしいようなことを言うんですの。それでお手紙差し上げましたの。」
 聞いてみると、故郁子の姉の子加世子には従兄《いとこ》の画家|隆《たかし》も来ているらしかった。

      四

 雨がぽつりぽつり落ちて来たので、三人は石高な道を急いで宿へ帰って来た。
 ちょうど入笠山《にゅうがさやま》あたりのハイキングから帰って来たらしい、加世子の従兄と登山仲間の友人とが、裏の井戸端《いどばた》で体をふいているところだったが、加世子が見つけて、縁端《えんばな》へ出て言葉を交している工合《ぐあい》が、どうもそうらしいので、均平も何か照れくさい感じでそのまま女中の案内で二階の加世子の部屋へ通った。
 部屋はたっぷりした八畳で、建具ががたがたで畳も汚かったが、見晴らしのいいので助かっていた。床脇《とこわき》の棚《たな》のところに、加世子のスウツケースや風呂敷包《ふろしきづつみ》があり、不断着が衣紋竹《えもんだけ》にかかっており、荒く絵具をなすりつけた小さい絵も
前へ 次へ
全31ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング