は神の声である」と主張し通して焚《や》かれて行く場面や、ジャンヌについて何も知らないながらに、画面から受ける彼女の刺戟《しげき》は強かった。そこへ婆やが来たのであった。
「何だかあんたに話があるそうですよ。瀬尾|博士《はかせ》も来ていられますから、急いで……。」
婆やはそう言って帰って行った。
銀子は何の話かと思い、赤ん坊を家《うち》において行ってみると、栗栖は博士とビールを呑《の》みながら洋食を食べていたが、銀子の分も用意してあった。
「まあ、こっちへ来たまえ。飯でも食いながらゆっくり話そう。」
五十年輩の瀬尾博士は、禿《は》げかかった広い額をてかてかさせていたが、どうしたのか、銀子から目をそらすようにしていた。栗栖は、しばらくするとちょっと腕時計を見て、
「それじゃ僕はちょいと行って来ます。今日は謡《うたい》の稽古日《けいこび》なのでね。お銀ちゃんもごゆっくり。」
と銀子にも言葉をかけて出て行った。
「何ですの、お話というの。」
銀子はフォークも取らずに訊《き》いてみたが、博士に切り出されてみると、それはやはりあの問題で、博士はこの結婚に自分も賛成であったことを述べてから、
「はなはだしいのは君に赤ん坊があるなんて、途方もないデマも飛んでいるくらいだが、そんなことはどうでもいいとして、一つ真実《ほんとう》のことを私にだけ言ってもらえないかね。よしんばそういう事実があるとしても、それは君の境遇から来た過失で、君の意志ではあるまいから深く咎《とが》めるには当たらないのだが、しかし事実は一応明らかにして、取るべき処置を講じなければならないんだ。」
銀子は自身の愚かさ弱さから、このごろだんだんディレムマの深い係蹄《わな》に締めつけられて来たことに気がつき、やはり私は馬鹿な女なのかしらと、自分を頼りなく思っていた。自分の意志でなかったにしても、親たちを引き寄せたりしたことは、何といっても抜き差しならぬ羽目に陥《お》ち込んだものであった。しかし彼女は単純に否定した。
「そんなことありません。全然|嘘《うそ》です。」
「そうかね。しかし君の親たちも家中あの近くへ引っ越して来て、君はその隣に一軒もっているそうじゃないか。」
「お父さん馬で怪我《けが》して、商売できなくなったもんですから、呼び寄せたんですわ。離れは栄子さんたちが入っていて家が狭いんです。それで裏続きの家があいていたから、私が時々|寝《やす》みに行くだけですの。」
銀子は何とかかとか言って否定しつづけたが、博士は栗栖がこのごろ仕事が手につかず、手術を怠けるので、県立病院にも穴があき、自分の立場も困るからと、だんだん事情を訴えるのだったが、一旦否定したとなると、銀子も今更恥を浚《さら》け出す気にはなれず、博士をてこずらせた。
「君があくまで否定するとなると、遺憾《いかん》ながらこの話は取消だね。君はそれでもいいのかね。それとももう一度考え直して、実はこれこれの事情だからこういうふうにしたいとか、私たち第三者の力で、何とか解決をつけてもらいたいとか、素直に縋《すが》る気持にはなれないものかね。」
博士は噛《か》んでくくめるように言うのだったが、銀子は下手に何か言えば弁解みたようだし、うっかり告白してしまった時の後の気持と立場も考えられ、終《しま》いに口を噤《つぐ》み硬《かた》くなってしまった。博士も、堪忍袋の緒を切らせ、ビールの酔いもさめて蒼《あお》くなっていた。
十九
「裁かるるジャンヌ」を見て来た一夜、ちょうどそれが自分と同じ年頃の村の娘の、世の常ならぬ崇高な姿であるだけに、銀子は異常な衝動を感じ、感激に胸が一杯になっていた。強い信仰もなく、烈しい愛国心もない自分には、とても及びもつかないことながら、生来の自分にも何かそれと一味共通の清らかさ雄々しさがあったようにも思われ、ジャンヌを見た途端に、それが喚《よ》び覚《さ》まされるような気持で、咀《のろ》わしい現実の自身と環境にすっかり厭気《いやき》が差してしまうのだった。
その晩から、銀子は蘇生《そせい》したような心持で、裏の家《うち》の二階に閉じこもり、磯貝の来そうな時刻になると、格子戸《こうしど》に固く鍵《かぎ》を差し、勝手口の戸締りもして、電気を消し蚊帳《かや》のなかへ入って寝てしまった。しかし呼び鈴が今にも鳴るような気がして神経が苛立《いらだ》ち、容易に寝つかれないので、今度は下へおりて押しても鳴らないように、呼び鈴に裂《きれ》をかけておいたりした。
うとうととしたと思うと、路次に跫音《あしおと》が聞こえ、呼び鈴の釦《ボタン》を押すらしかったが、戸を叩《たた》く音もしたと思うと、おいおいとそっと呼ぶ声もしていた。隣に親たちがいるので、彼もそれ以上戸を叩かず、すごすご帰って行くのだったが、いつもそれでは済まず、木槿《もくげ》の咲いている生垣《いけがき》を乗りこえ、庭へおりて縁の板戸を叩くこともあった。
「お前がそれほどいやなものなら、お母さんも無理に我慢しろとは言わない、きっぱり話をつけたらいいじゃないか。」
ある晩も座敷から酔って帰った銀子が寝てから、磯貝が割れるほど戸を叩き、母が聞きかね飛び出して来て、銀子に戸を開けさせ上にあげたが、白々明けるころまでごたごたしていたので、彼女は磯貝の帰るのを待って、銀子に言うのだった。銀子は目を泣き腫《は》らしていた。
「だから私きっぱり断わったのよ。こんな処《ところ》にいるもんかと思ったから。そしたら、あの男も今まで拵《こしら》えてやったものは、みんな返せと言っていたわ。」
「ああ、みんな返すがいいとも。そんなものに未練残して、不具《かたわ》にでもされたんじゃ、取返しがつかない。」
気の早い銀子の父親が、話がきまるとすぐ東京へ飛び出して行き、向島の請地《うけじ》にまだ壁も乾かない新建ちの棟割《むねわり》を見つけて契約し、その日のうちに荷造りをしてトラックで運び出してしまい、千葉を引き払った銀子たちがそこへ落ち着いたのは、夜の八時ごろであった。あの町には、あれほど愛し合った栗栖もいるので、立ち去る時、何となし哀愁も残るのだったが、銀子は後を振り返って見ようともしなかった。
足を洗った銀子に、一年半ばかり忘れていた靴の仕事が当てがわれ、彼女は紅や白粉《おしろい》を剥《は》がし、撥《ばち》をもった手に再び革剥《かわそ》ぎ庖丁《ぼうちょう》が取りあげられた。父はそっちこっちのお店《たな》を触れまわり、註文《ちゅうもん》を取る交渉をして歩いた。
「馬鹿は死ななきゃ癒《なお》らない。」
銀子はその言葉に思い当たり、なまじい美しい着物なんか着て、男の機嫌《きげん》を取っているよりも、これがやはり自分の性に合った仕事なのかと、生まれかわった気持で仕事に取りかかり、自堕落に過ごした日の償いをしようと、一心に働いた。彼女の造るのは靴の甲の方で、女の手に及ばない底づけは父の分担であり、この奇妙な父子《おやこ》の職人は、励まし合って仕事にいそしむのだった。
その時になっても、父親の持病は綺麗《きれい》さっぱりとは行かず、二日仕事場にすわると、三日も休むというふうで、小山で働いていた妹たちも健康を害《そこ》ねて家で休んでおり、銀子の稼《かせ》ぎではやっぱり追いつかず、大川の水に、秋風が白く吹きわたるころになると、銀子も一家に乗しかかって来る生活の重圧が、ひしひし感じられ、自分の取った方嚮《ほうこう》に、前とかわらぬ困難が立ち塞《ふさ》がっていることを、一層はっきり知らされた。
「お父さんとお銀ちゃんの稼ぎじゃ、やっと米代だけだよ。お菜代がどうしたって出やしないんだからな。」
母は言い言いした。
父母の別れ話が、またしても持ちあがり、三人ずつ手分けして、上州と越後《えちご》へ引きあげることになったところで、銀子はある日また浅草の桂庵《けいあん》を訪れた。
郷 愁
一
「おじさん私また出るわ。少しお金がほしいんだけど、どこかある?」
いくら稼いでも追いつかない靴の仕事を棄《す》て年の暮に銀子はまたしても桂庵を訪れた。早急の場合仮に越して来た請地《うけじ》では店も張れず、どこか商いの利く処《ところ》に一軒、権利を買わせるのにも相当の金が必要だった。
「いくらくらいいるんだ。」
「千二三百円ほしんだけれど。」
「芳町《よしちょう》の姐《ねえ》さんとこどうだろう。この間もあの子どうしたかって聞いていたから、もっとも金嵩《かねかさ》が少し上がるから、どうかとは思うがね。」
「そうね。」
銀子は田舎《いなか》でしばしば聞いていた通り、一番稼ぎの劇《はげ》しいのが東京で、体がたまらないということをよく知っていた。それにそのころの千円も安い方ではなかった。こうした場合かかる大衆の父母たるものの心理では良人《おっと》へのまたは妻への愛情と子供への愛情とは、生存の必要上おのずからなる軽重があり、子供が喰《く》われるのに不思議はなく、苦難は年上の銀子が背負《しょ》う以上、東京がいいとか田舎がいやだとか、言ってはいられなかった。好い芸者になるための修業とか、磨《みが》きとかいうことも、考えられないことであった。
「仙台《せんだい》はどうかね。家《うち》の娘があすこで芸者屋を出しているから、私の一存でもきまるんだがね。」
桂庵の娘の家では、何か問題の起こる場合に歩が悪いと、銀子は思った。
「やっぱり知らない家がいいわ。」
「それだとちょっと遠くなるんだが、頼まれている処がある。少し辺鄙《へんぴ》だけれど、その代りのんびりしたもんだ。そこなら電報一つですぐ先方から出向いて来る。」
そこはI―町といって、仙台からまた大分先になっていた。
「どのくらいかかる?」
銀子も少し心配になり、躊躇《ちゅうちょ》したが、歩けないだけに、西の方よりも、人気が素朴《そぼく》なだけでも、やりいいような気がした。
「今日の夜立って、着くのは何でも明日のお昼だね。それにしたところで、台湾や朝鮮から見りゃ、何でもないさ、遊ぶつもりで一年ばかり往《い》ってみちゃどうかね。いやならいつでもそう言って寄越《よこ》しなさい。おじさんがまたいいところを見つけて、迎いに行ってあげるから。」
「じゃ行ってみます。」
銀子は決心した。
町は歳暮の売出しで賑《にぎ》わい、笹竹《ささたけ》が空風《からかぜ》にざわめいていたが、銀子はいつか栗栖に買ってもらった肩掛けにじみ[#「じみ」に傍点]な縞縮緬《しまちりめん》の道行風の半ゴオトという扮装《いでたち》で、覗《のぞ》き加減の鼻が少し尖《とが》り気味に、頬《ほお》も削《こ》けて夜業《よなべ》仕事に健康も優《すぐ》れず荊棘《いばら》の行く手を前に望んで、何となし気が重かった。
二日ほどすると、親たちの意嚮《いこう》をも確かめるために、桂庵が請地の家《うち》を訪れ、暮の餅《もち》にも事欠いていた親たちに、さっそく手附として百円だけ渡し、正月を控えていることなので、七草過ぎにでもなったら、主人が出向いて来るように、手紙を出すことに決めて帰って行った。
銀子が出向いてきた主人夫婦につれられて上野を立ったのは十日ごろであった。父はその金は一銭も無駄にはせず、きっと一軒店をもつからと銀子に約束し、権利金や品物の仕入れの金も見積もって、算盤《そろばん》を弾《はじ》いていたが、内輪に見ても一杯一杯であり、銀子自身には何もつかなかった。
「お前も寂しいだろ、当座の小遣《こづかい》少しやろうか。」
「いいわよ。私行きさえすればどうにかなるわ。」
しかし父親は上野まで見送り、二十円ばかり銀子にもたせた。
二等客車のなかに、銀子は主人夫婦と並んでかけていた。主人は小柄の精悍《せいかん》な体つきで太い金鎖など帯に絡《から》ませ、色の黒い顔に、陰険そうな目が光っており、銀子は桂庵の家で初めて見た時から、受けた印象はよくなかった。お神は横浜産で、十四五までの仕込み時代をそこに過ごし、I―町へ来て根を卸したのだった。東のものが西へ移り、南のものが北で暮
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