踊りや三味線《しゃみせん》を仕込まれ、それが彼女の生涯の運命を決定してしまった。
 彼女の本所の家の隣に、あの辺の工場で事務を扱い、小楽に暮らしている小父《おじ》さんがおったが、不断|可愛《かわい》がられていたので、暇乞《いとまご》いに行くと、何がしかの餞別《せんべつ》を紙にひねってくれ、お披露目《ひろめ》をしたら行ってやるから、葉書でもよこすようにとのことだったので、その通りすると、約束を反故《ほご》にせず観音|詣《まい》りかたがたやって来て、また何某《なにがし》かの小遣《こづかい》をくれて行った。彼女は東京でいっぱしの芸者になってからも、それを忘れることはなかった。
 銀子は深川で世帯《しょたい》をもった時分、裁縫の稽古《けいこ》に通っている家《うち》で、一度この小父さんに逢《あ》い、銀子が同じ土地に棲《す》んでいたというので、小菊のことをきかれた。しかし銀子がこの土地の、しかも同じ家へ来た時分には、小菊の亡くなった直後であった。
 那古は那古観音で名が高く、霊岸島から船で来る東京人も多かった。洋画家や文学青年も入り込んだ。芸者は大抵東京の海沿いから渡ったもので、下町らしい気分があ
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