を気に入っていた。
 均平は邸宅を取られてから、子供と一緒に小さい借家にいたので、自然双方を往来することになり、銀子の癖で何となし気分が険悪になったり、均平自身も理由もなしに神経が苛立《いらだ》たしくなったりすると、いきなりステッキを手にして、ふらりと子供の方へ帰って行くのだったが、それも二人の生活の前途に不安の影が差していたからであった。
 銀子は退屈しのぎというだけでなく、まさかの時にはいつ何時|撥《ばち》をもつことにならないとも限らないので、もとから清元が地だったので、六十に近い女の師匠に出稽古《でげいこ》をしてもらい、土橋を稽古していた。師匠は日の少しかげった時分に浴衣《ゆかた》がけで現われ、たっぷりした声で、江戸ものらしい調子で謳《うた》っていたが、銀子の謡《うた》いぶりはいつも素朴《そぼく》で、甘味たっぷりの豊かな声ながら、気取りや巧者なところはなかった。それがすむと小唄《こうた》を四ツ五ツつけてもらうことにしていた。均平もそれらの稽古本を開いて見ることもあり、古い江戸の匂いをかぐような気がして、民衆の間から産まれた芸術だというのと、声調が長唄ほどうわずった騒々しさがないの
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