のくせに毛糸のジャケツを買ったり、ゴムの雨靴を買ったりさ。己は下駄箱《げたばこ》のなかで、それを見つけてかっとなって引き裂いてしまったものだよ。あの時分は己も頭脳《あたま》が古かったし、今から思うと頑固《がんこ》すぎたと思うよ。明治時代に書生生活をしたものには、どうかするとそういうところがあったよ。そのころから均一はコオヒーを飲んだり、音楽を聞いたり、映画や歌劇を見たりしたものだ。もっとも己も最近では若いものに感染《かぶ》れて、だんだんそういうものの方が好きになった。」
「そうね。映画御覧になります?」
「時々見る。退屈|凌《しの》ぎにね。しかしこのごろはいい画《え》がちっとも来ないじゃないか。」
「え、御時勢が御時勢だから。でもたまには……。」
「ひところは均一も、音楽家にでもなりそうで、どうかと思っていたが、そうでもなかった。己も明治時代の実利主義派で、飯にならんものはやっても困ると思っていたものだ。近代的な教養というものに、まるで理解がなかった。」
「けれど今はまたそういう時代じゃないんでしょうか。」
「そうも言えるが、それとはまた違うようだ。もっとも世の中にはそういう階層もない
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