、工科出の地質学者であったが、召集されるとすぐ、深くも思い決した体で、心を後に残さないように、日頃愛用していたライカアやレコオドを残らず叩《たた》き壊《こわ》し、潔《いさぎよ》く征途に上ったものだったが、一ト月の後にはノモンハンで挺身《ていしん》奮闘して斃《たお》れてしまった。同じ奉公は奉公に違いなく、町の与太ものの意気もはなはだ愛すべきだが、科学人の白熱的な魂の燃焼も、十分|讃《ほ》め称《たた》えられるべきだと思われた。
 均平は長くもこの病室にいなかった。ただ均一を見舞うだけの旅行であったが、逢《あ》ってみると別に話すべきこともなく、今の自分の姿にも負《ひ》け目《め》が感じられ、後は加世子に委《まか》せて、ベランダヘ出て風に吹かれていた。均平はこの年になっても持前のわがままがぬけず、別にこれと言って希望もなく、今後の生活の設計があるのでもなかったが、そうかと言ってそこに全く安住している気にもなれず、絶えず何か焦躁《しょうそう》を感じていた。
「もう帰るとしようか。また来るかも知れないが……。」
 汐《しお》を見て均平は椅子《いす》を離れた。
「そうね。」
 兄との話の途切れたところ
前へ 次へ
全307ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング