く後送ですから、あまり口幅ったいことは言えませんが、何か気残りがしてなりません。病気でもかまわず戦線へ立つ勇気があるかといえば、それはできないけれど……。死の問題なぞ考えるようになったのは、かえってここへ来てからです。」
均平は今いる世界の周囲にも、事変当初から、あの空地《あきち》で歓送されて行った青年の幾人かを知っていた。役員や待合の若い子息《むすこ》に、耳鼻|咽喉《いんこう》の医師、煙草屋《たばこや》の二男に酒屋の主人など、予備の中年者も多かった。地廻りの不良も召集され、運転士も幾人か出て行った。その中で骨になったり、不具者になって帰って来たのはせいぜい一人か二人で、大抵は無事で帰って来た。ある待合の子息は、出征直前に愛人の芸者が関西へ住替えしたのを、飛行機で追いかけ、綺麗《きれい》に借金を払って足を洗わせておいてから、出征したものだったが、杭州湾《こうしゅうわん》の敵前上陸後、クリークのなかで待機しているうち、窮屈な地下生活に我慢ができず、いきなり飛び出した途端に砲丸にやられ、五体は粉微塵《こなみじん》に飛び、やっと軍帽だけが送り還《かえ》された。またこの町内のある地主の子息は
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