とに今日初めて見る風景でもなかったが、食事前後にわたってかなり長い時間のことなので、ナイフを使いながら窓から見下ろしている均平の目に、時節柄異様の感じを与えたのも無理はなかった。
ここはおそらく明治時代における文明開化の発祥地で、またその中心地帯であったらしく、均平の少年期には、すでに道路に煉瓦《れんが》の鋪装が出来ており、馬車がレールの上を走っていた。ほとんどすべての新聞社はこの界隈《かいわい》に陣取って自由民権の論陣を張り、洋品店洋服屋洋食屋洋菓子屋というようなものもここが先駆であったらしく、この食堂も化粧品が本業で、わずかに店の余地で縞《しま》の綿服に襷《たすき》がけのボオイが曹達水《ソーダすい》の給仕をしており、手狭な風月の二階では、同じ打※[#「※」は「にんべん+分」、第3水準1−14−9、323−下22]《いでたち》の男給仕が、フランス風の料理を食いに来る会社員たちにサアビスしていた。尾張町《おわりちょう》の角に、ライオンというカフエが出来、七人組の美人を給仕女に傭《やと》って、慶応ボオイの金持の子息《むすこ》や華族の若様などを相手にしていたのもそう遠いことではなかった。
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