たことがないから、往ってみたいわ。」
「それでもいいね。」
「貴方《あなた》がいやなら諏訪《すわ》あたりで待っててもいいわ。」
「それでもいいし、君も商売があるから、一人で行ってもいい。」
「そう。」
 銀子にはこの親子の感情は不可解に思えた。三村家で二人を引き取り、不安なく暮らしている以上、その上の複雑な愛情とが憎悪とかいうようなむずかしい人情は、無駄だとさえ思えた。彼女はまだ若かった父や母に猫《ねこ》の子のように育てられて来た。銀子の素直で素朴《そぼく》な親への愛情は、均平にも羨《うらや》ましいほどだった。

      二

 汽車が新緑の憂鬱《ゆううつ》な武蔵野《むさしの》を離れて、ようやく明るい山岳地帯へ差しかかって来るにつれて、頭脳《あたま》が爽《さわ》やかになり、自然に渇《かつ》えていた均平の目を愉《たの》しましめたが、銀子も煩わしい商売をしばし離れて、幾月ぶりかで自分に還《かえ》った感じであった。少女たちの特殊な道場にも似た、あの狭いところにうようよしている子供たちの一人々々の特徴を呑《の》み込み、万事要領よくやって行くのも並大抵世話の焼けることではなかった。
 均平も
前へ 次へ
全307ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング