いかに大病であったかを、今更感ずるのだったが、やがて室《へや》へ盥《たらい》をもち込み、手首や足をそっと洗うほどになり、がくつく足で段梯子《だんばしご》を降り、新しい位牌《いはい》にお線香をあげたりした。
 ある時仏にも供え看護婦をもおごり、みんなで天丼《てんどん》を食べたことがあったが、それは仏が生前に食べたいと言うので、取ってみたが蓋《ふた》を取って匂いをかいだばかりで食道はぴったり塞《ふさ》がり一箸《ひとはし》も口へもって行くことができなかったのを思い出したからで、寝ついてからはずっと食慾がなかった。有田ドラッグの薬の空罐《あきかん》が幾つも残っており、薬がなくなると薬代をもらいに銀子の処《ところ》へ往《い》ったこともあった。
 銀子が芳町へ出たての時分、母は彼女をつれて町の医者に診《み》てもらったことがあったが、医者は母親を別室に呼び、不機嫌《ふきげん》そうに、あんなになるまでうっちゃっておいて、今時分連れて来て何になると思うのかと叱るので、母はその瞬間から見切りをつけていた。
「なるべく滋養を取らせて、遊ばせておくよりほかないね。」
 銀子も言っていたのだったが、ある時|越後
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