ん。」
台所働きの子が好い機会《きっかけ》を見つけて言った。
「それから三村さんところへお手紙が……。」
均平はここでの習慣になっている「お父さん」をいやがるので、皆は苗字《みょうじ》を呼ぶことにしていた。
山 荘
一
簿記台のなかから、手紙を取り出してみると、それは加世子から均平に宛《あ》てたもので、富士見の青嵐荘《せいらんそう》にてとしてあった。涼しそうな文字で、しばらく山など見たことのない均平の頭脳《あたま》にすぐあの辺の山の姿が浮かんで来た。しかし開かない前にすぐ胸が重苦しくなって、いやな顔をしてちょっとそのまま茶盆の隅《すみ》においてみたりした。いつも加世子のことが気になっているだけに、どうしてあの高原地へなぞ行っているのかと、不安な衝動を感じた。
しばらくすると彼は袂《たもと》から眼鏡を出して、披《ひら》いてみた。そして読んでみると、帰還以来陸軍病院にずっといた長男の均一が、大分落ち着いて来たところからついこのごろ家《うち》に還《かえ》され、最近さらにここの療養所に来ているということが解《わか》ったが、父親に逢《あ》いたがっているから、来ら
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