していたが、多勢の兄弟があり、お櫃の底を叩《たた》いて幼い妹に食べさせ、自身はほんの軽く一杯くらいで我慢しなければならないことも、いつもの例で、みんなで彼女たちは彼女たちなりの身のうえ話をしているとき、ふとそれを言い出して互いに共鳴し、目に涙をためながら、笑い崩れるのであった。もちろん銀子にだって、それに類した経験がないことはなかった。彼女は食いしん棒の均平と、大抵一つ食卓で、食事をするのだったが、時には子供たちと一緒に、塗りの剥《は》げた食卓の端に坐って、茄子《なす》の与市漬《よいちづけ》などで、軽くお茶漬ですますことも多かった。そしてその食べ方は、人の家の飯を食べていた時のように、黙祷《もくとう》や合掌こそしないが、どうみても抱えであった時分からの気習が失《う》せず、子供たちの騒々しさや晴れやかさの中で、どこかちんまりした物静かさで、おしゃべりをしたり傍見《わきみ》をしたりするようなこともなかった。
 非常時も、このごろのように諸般の社会相が、統制の厳《きび》しさ細かさを生活の末梢《まっしょう》にまで反映して、芸者屋も今までの暢気《のんき》さではいられなかった。人員の統制が、頭脳《
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