せき》の度が重なるにつれて、つい絆《ほだ》されやすい人情も出て来て、いつか持株の数が殖《ふ》えて行くのであった。景気の好い時、株屋の某はそれからそれへと棄《す》てがたい女が出来、そっちこっちに家をもたせておいたが、転落して裏長屋に逼塞《ひっそく》する身になっても、思い切って清算することができず、身の皮を剥《は》ぎ酷工面《ひどくめん》しても、月々のものは自身で軒別配って歩き、人を嬉《うれ》しがらせていたという、芝居じみた人情も、そのころにはあり得たのであった。
 永瀬の場合は、そうばかりとも言えず、ずっと後に近代的な享楽の世界が関西の資本によって、大規模の展開を見せ、銀座がネオンとジャズで湧《わ》き返るような熱鬧《ねっとう》と躁狂《そうきょう》の巷《ちまた》と化した時分には、彼の手も次第にカフエにまで延び、目星《めぼ》しい女給で、その爪牙《そうが》にかかったものも少なくなかったが、学生時代には、彼も父をてこずらせた青年の一人で、パンや菓子の研究にアメリカヘやられ、青年期をそこに過ごしたので、道楽仕事にも興味があり、大正の末期には、多摩川に大規模の享楽機関を造り、一号格の向島の女にそれをや
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