伝かたがた札びらを切って歓を交し、多勢の女中にも余分の祝儀《しゅうぎ》をばら撤《ま》き、お母さんお母さんと煽《あお》りたてられて、気をよくしているのであったが、一面ではまた月末の勘定をしてやらないので、それによって母と弟と二人が生計を立てている春次の母親が、せっせと足を運び、坐りこんで催促したりするのが煩《うるさ》く、用ありげにふいと席をはずすような、矛盾と気紛《きまぐ》れを多分に持っているのだった。
 お神は抱えの着物を作るたびに、自分のも作り、外出する時はお梅さんという玄冶店《げんやだな》の髪結いに番を入れさせ、水々した大丸髷《おおまるまげ》を結い、金具に真珠を鏤《ちりば》めた、ちょろけんの蟇口型《がまぐちがた》の丸いオペラバックを提《さ》げ、どこともいわず昼間出て行くのだったが、帰りは大抵夜の九時か十時で、時には十二時になっても帰らぬことがあり、外の行動は抱えには想像もつかなかったが、時には玉捜しの桂庵《けいあん》廻りであったり、時には富士見町に大きな邸宅を構えている、金主の大場への御機嫌《ごきげん》伺いかとも思われた。大場も株屋で、金融会社をも経営していたが、富士見町は本宅で、
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