みせん》と、座敷の労働服である長襦袢《ながじゅばん》、それに着替えと不断着は全部自分もちで、分《ぶ》は悪く、その三分の取り分も、大抵の主人が計算を曖昧《あいまい》に附しがちなので、結局取り分がないのと同じであり、手元が苦しいので、三円五円と時々の小遣《こづかい》を借りなければならず、それが積もって百円になると、三円ずつの利息づきで、あらためて借用証書に判をつかされたりするのであった。この土地では、影は最初は五十円から百円くらいまであり、それが主人の手へ全部入るのであり、十人の抱えがあるとすれば、通しは大抵その三分の一の割だが、影は通しの場合とのみは限らず、一人あて百座敷のうち三十の座敷が影だとすれば、一座敷五十円としても、一人あて千五百円の金が主人の懐《ふところ》に落ちるわけだった。玉《ぎょく》がそのほかであるのは言うまでもなかった。
披露目の時、銀子について歩いたのは古顔の春次で、この女もその時分はすでに二十六七の中年増《ちゅうどしま》であり、東京は到《いた》る処《ところ》の花柳界を渉《わた》りあるき、信州へまで行ってみて、この世界はどこも同じだと解《わか》り、ある特志な養蚕家に救
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