ていた。吝々《けちけち》するのは芸者の禁物であり、辛気《しんき》くさい洗濯や針仕事は忙しい妓《こ》には無理でもあり、小さい時から家庭を離れている銀子は、見ず知らずのこの土地へ来てからは、一度汚したものは大抵古新聞に包んで河へ流すことにしているのだった。
田舎《いなか》の芸者屋では、抱えの客筋であると否とにかかわらず、最寄りの若い男の出入りすることを、都会のようにはいやがりもしないので、分寿々廼家でも、写真屋や罐詰屋《かんづめや》、銀子たちが顔を剃《そ》りに行く床屋の若い衆や、小間物屋に三味線屋《しゃみせんや》がよく集まった。土地の人の気風は銀子にもよく判らなかったが、表面《うわべ》の愛らしい言葉つきの感じなどと違って、性質は鈍重であり、しんねりした押しの強さが、東京育ちの銀子にずうずうしくさえ思えるのだった。写真屋も銀子をわが物顔にふるまい、罐詰屋も懲りずにやって来た。
「あの青ん造は一体お前の何だい。」
夏父親がやって来た時、彼は東京へ出るたびに、罐詰を土産《みやげ》に親類か何ぞのように錦糸堀の家《うち》へ上がりこみ、朝からお昼過ぎまで居座る罐詰屋のことを、そんなふうに怒っていた
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