た。目と目が合った瞬間おやと思って銀子は視線をそらしたが、栗栖もそっと俛《うつ》むいて猪口《ちょく》を手にした。
銀子はこうした身の上の恋愛といったようなものを、ほんの刹那《せつな》々々のもので、別れてしまえばそれきり思い出しも出されもしないものと、簡単に片づけていたので、この土地へ来てからはあの葛藤《かっとう》も自然忘れているのだったが、その当座は自分の意地張りからわざと破《こわ》してしまったあの恋愛にいやな気持が残ってならなかった。次第にそれが郷愁のなかに熔《と》け込み、周囲との触れ合いで時々起こるしこり[#「しこり」に傍点]のような硬《かた》い気持が、何から来るのか自分にも解《わか》らなかった。
[#ここから2字下げ]
おばアこなア、芸者子にもなりゃしゃんせ
人の座敷に巣を造らん鴎《かもめ》か 飛び止まらん鴎か コバイテコバイテ
[#字下げ終わり]
土地の芸者はよくこんなおばア子節を唄《うた》い囃《はや》すのだったが、銀子にはなかなかその郷土調が出ず、旅芸者におちた悲哀を深くするように思えて、好きではなかった。
銀子はしかし栗栖を避けるわけに行かず、お座附がすんで、酒がまわ
前へ
次へ
全307ページ中206ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング