力の旺盛《おうせい》なことは疑う余地もなかった。
 パンやスープが運ばれたところで、今まで煙草《たばこ》をふかしながら、外ばかり見ていた均平は、吸差しを灰皿の縁におき、バタを取り分けた。五月の末だったが、その日はひどく冷気で、空気がじとじとしており、鼻や気管の悪い彼はいつもの癖でつい嚔《くさめ》をしたり、ナプキンの紙で水洟《みずばな》をふいたりしながら、パンを※[#「※」は「てへん+毟」、第4水準2−78−12、323−上1]《むし》っていた。
「ひょっとすると今年は凶作でなければいいがね。」
 素朴《そぼく》で単純な性格を、今もって失わない銀子は、取越し苦労などしたことは、かつてないように見えた。幼少の時分から、相当生活に虐《しいた》げられて来た不幸な女性の一人でありながら、どうかするとお天気がにわかにわるくなり気分がひどく険しくなることはあっても、陰気になったり鬱《ふさ》ぎ込んだりするようなことは、絶対になかった。苦労性の均平は、どんな気分のくさくさする時でも、そこに明るい気持の持ち方を発見するのであった。彼女にも暗い部分が全然ないとは言えなかったが、過去を後悔したり現在を嘆いたり
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