それほどの決心もなかったんだから、このままここにいたところで、岩谷が入れるつもりでいても、家へ入れるわけではないし、入ったところで先は格式もあるし、交際も広いから、私ではどうにもならないでしょう。第一親にもめったに逢《あ》えないんだもの。私も心配になって、実は少し悲しくなって来たのよ。独りでお庭へ出て、石橋のうえに跪坐《しゃが》んで、涙ぐんでいたの。すると一週間目に、箱丁《はこや》の松さんとお母さんが、ひょっこりやって来たものなの。随分方々探し歩いたらしいんだけれど、とにかく後でゆっくり相談するから、一旦は帰ってくれって言うんですの。内々私も少しほっとした形なの。第一岩谷もあの時分お金に困っていたんだか何だか、解決するなら前借を払うのならいいんだけれど、そうでもないし、帰るも帰らないも私の肚《はら》一つだというんだから、わざわざお母さんまで来たのに、追い返すのもどうかと思って、一緒に帰ってしまったの。何とか言って来るかなと思って、私も何だか怏々《くさくさ》していると、とても長い手紙が来たの。何だかむずかしいことが書いてあったけれど、結局、女は一旦その男のものとなった以上、絶対に信頼して
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