じみ》のお客とも付かず離れずの呼吸でやらしたいから、後口々々と廻すように舵《かじ》を取るんです。いいお客がつかないのも困るけれど、深くなるのも心配なんです。」
 均平はこの世界の内幕は、何も知らなかった。
「私もその時分はこれでなかなか肯《き》かん坊だったから、ああこれなら安心だと監視の手が緩《ゆる》んだ時分に、ちょっとそこまで行くふりして、不断着のまま蟇口《がまぐち》だけもって飛び出してしまったんです。そして東京駅でちょっと電話だけかけて、何時かの汽車に乗ってしまったの。」
「それで……。」
「それから別に……。三保《みほ》の松原とか、久能山《くのうさん》だとか……あれ何ていうの樗牛《ちょぎゅう》という人のお墓のある処《ところ》……龍華寺《りゅうげじ》? 方々見せてもらって、静岡に滞在していたの。そして土地の妓《こ》も呼んで、浮月に流連《いつづけ》していたの。まあ私は罐詰《かんづめ》という形ね。岩谷もあの時分は何か少し感染《かぶ》れていたようだわ。お前さえその気なら、話は後でつけてやるから、松の家へ還《かえ》るなというのよ。少し父さんに癪《しゃく》にさわったこともあったのよ。私だって
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