銀子は岩谷に呼ばれて方々遠出をつけてもらっていたが、分けの芸者なので、丸抱えほど縛られてもいず、玉代にいくらか融通を利かすことも、三度に一度はしていた。長岡とか修善寺《しゅぜんじ》などはもちろん、彼の顔の利く管内の遊覧地へ行けば、常子がいうように、三日や五日では帰れなかったが、銀子も相手が相手なので、搾《しぼ》ることばかりも考えていなかった。
 岩谷は下町でも遊びつけの女があり、それがあまり面白く行かず、気紛《きまぐ》れにこの土地へ御輿《みこし》を舁《かつ》ぎ込んだものだったが、銀子がちょっと気障《きざ》ったらしく思ったのは、いつも折鞄《おりかばん》のなかに入れてあるく写真帖《しゃしんちょう》であった。
 写真帖には肺病で死んだ、美しい夫人の小照が幾枚となく貼《は》りこまれてあり、彼にとっては寸時も傍《そば》を離すことのできない愛妻の記念であった。妻は彼の門地にふさわしい家柄の令嬢で、岩谷とは相思のなかであり、死ぬ時彼に抱かれていた。写真帖には処女の姿も幾枚かあったが、結婚の記念撮影を初めとして、いろいろの場合の面影が留《とど》めてあった。銀子のある瞬間が世にありし日の懐かしい夫人の感
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