》りながら、考えこんでいたというから。」
「でもいくらか面当《つらあ》てもあったでしょう。」
「それなら生きていて何かやるよ。」
「そういえば父さんも、時々|姐《ねえ》さんの幻影を見たらしいわ。死ぬ間際《まぎわ》にも、お蝶《ちょう》がつれに来たって、譫言《うわごと》を言っていたらしいから、父さんも姐さんには惚《ほ》れていたんだから、まんざら放蕩親爺《ほうとうおやじ》でもなかったわけね。初めて真実にぶつかったとでも言うんでしょうよ。」
「そうかも知れない。」
「父さんもお金がなかったからだと言う人もあるけれど、不断注意ぶかいくせに、入院が手遅れになったのも、死ぬことを考えていたからじゃないの。」

    素 描

      一

「私はこの父さんと、一度きり大衝突をしたことがあるの。」
 ある日銀子は、松島の噂《うわさ》が出た時言い出した。
 それは第一期のことだったが、この世界もようやく活気づこうとする秋のある日のことで、彼女はその日も仲通りの銭湯から帰って、つかつかと家《うち》の前まで来ると、電話があったらしく、マダムの常子が応対していた。硝子戸《ガラスど》のはまった格子《こうし
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