たらいいだろうって、私に五百円おいて行ったものなの。」
「それが君のペトロンなの。」
「ペトロンなんかないけど。」
「一体君いくつなの?」
「私ですか。そうね。」彼女の答えは曖昧《あいまい》であった。彼に女の年を聞く資格もなかった。
「その男は?」
「それきりですの。」
「金は。」
「金は使っちゃいましたわ。」
それが一夜の彼女の貞操の代償というわけであった。彼女は今でもそれを千円くらいに踏んでいるものらしかった。
「その男は――株屋?」
「株屋じゃありません。株屋ならちょっと大きい人の世話に、この土地で出ていた時分にはなったこともありましたけれど、その人も震災ですっかりやられてしまいましたわ。」
そして彼女はその株屋の身のうえを話し出した。
「その人がまだお店の番頭時代――二十四くらいでしたろうか、ある時お座敷に呼ばれて、ちょっといいなあと思ったものです。たびたび逢《あ》っているうちに深くなって、店をわけてもらったら、一緒になろうなんて言っていたものでしたが、ほかにお客ができたものですから、それはそれきりになって、私も間もなく堅気になったものですから、ふつり忘れてしまっていたもんなんです。すると、十年もたって、私がまた商売に出るようになってから、株屋仲間のお座敷へ呼ばれて行くと、その中にその人のお友達もいて、おせっかいなことには、四五人で私を芝居につれて行って、同じ桟敷《さじき》でその男に逢わしたものです。その男も今は旦那《だんな》が死んで、堅いのを見込まれて、婿《むこ》養子として迹《あと》へ据《す》わって、采配《さいはい》を振るっているという訳で、ちょっと悪くないから私もその気で、再び縒《よ》りが戻ったんですの。私はそうなると、お神さんのあるのが業腹《ごうはら》で帰してやるのがいやなんです。お神さんは三つも年上で、夜通し寝ないで待っているという妬《や》き方で、その人の手と来たら、紫色のあざが絶えないという始末なんです。到頭その店を飛び出して二人で世帯《しょたい》をもったんですけれど、それからはどうもよくありませんでしたね。私もいい加減見切りをつけて、クルベーさんの世話になったんですが、震災のあの騒ぎの時、よくせきのことだと見えて、その男が店のものを金の無心に寄越《よこ》しましたわ。自分でもやって来ましたわ。僅かの金なんでしたけれど、私部屋へ帰って考えると、何だか馬鹿々々しくなって、クルベーさんに感づかれても困ると思って、五円やって逐《お》っ払っちゃいました。けれど、何しろその人は草鞋足袋《わらじたび》か何かで見すぼらしいったらないんですの。顔見るのもいやでしたわ。」
ちょうど時間がよかったので、小夜子の望みで彼は久しぶりで歌舞伎《かぶき》を覗《のぞ》いてみることにした。葉子の好きな言葉のない映画よりも、長いあいだ見つけて来た歌舞伎の鑑賞癖が、まだ彼の躰《からだ》にしみついていた。暗くて陰気くさい映画館には昵《なじ》めなかった。
小夜子は帳場へ出て、電話で座席があるかないかを聞きあわせた。
「二階桟敷でしたら、五つ目がありますの。
「結構。」
「私|支度《したく》しますから、先生もお宅へ着物を取りにおやんなすっては。」
「そうね。」
その通りにして部屋で待っていると、女中がやって来て、
「何を着て行っていいか、お神さんが先生に来て見て下さいって。」
「そう。」
庸三が行ってみると、箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》と扉《とびら》がいくつも開いていて、そこに敷いた青蓙《あおござ》のうえにも外にも、長襦袢《ながじゅばん》や単衣《ひとえ》や帯が、花が散りしいたように取り散らかされていた。
「あまり派手じゃいけないでしょう。」
「そうね。あまり目立たない方がいいよ。」
結局何かの雨絣《あめがすり》に、黒の地紋の羽織ということになった。顔もいつものこってりしない程度で、何かきりりと締りの好い、愛らしい形がそこに出来あがった。彼女は流行さえ気にしなければ、一生着るだけの衣裳《いしょう》に事欠かないほどのものを持っていた。丸帯だけでも長さ一間幅四尺もある金庫に一杯あった。すばらしい支那服、古い型の洋服――そんなものも、その後何かのおりに、引っ張り出してみたが、それらは残らず震災後に造ったもので、無論クルベー好みのけばけばしいものばかりであった。
車が来たので、庸三は勝手口から降りた。小夜子はコムパクトを帯にはさみながら部屋を出て来た。
「ちょっと寄り道してもいいでしょう。手間は取りません。」
そう言って小夜子は永田町《ながたちょう》へと運転士に命じた。
じきに永田町の静かな町へ来た。小夜子は蔦《つた》の絡《から》まった長い塀《へい》のはずれで車をおりて、その横丁へ入って行った。しゃなりしゃなりと彼女の涼しげな姿が、彼の目の先を歩いて行ったが、どんな家《うち》へ入って行ったかは、よく見極《みきわ》められなかった。それがクルベーの邸宅であることは、ずっと後に解《わか》った。
暑い盛りの歌舞伎座は、そう込んでいなかった。俳優の顔触れも寂しかったし、出しものもよくはなかった。庸三は入口で、顔見しりの芝居道の人に出逢《であ》ったが、廊下でも会社の社長の立っているのを見た。小夜子が紹介してくれというので、ちょいと紹介してから、二階へあがって行ったが、そうやって、前側にすわって扇子をつかっている小夜子の風貌《ふうぼう》は、広い場内でも際立《きわだ》つ方であった。でも何の関係もないだけに、葉子と一緒の時に比べて、どんなに気安だか知れなかった。
二人は楽しそうに、追々入って来るホールの観客を見降ろしながら、木の入るのを待っていた。
到頭ある日葉子から電報が来た。月|蒼《あお》く水|煙《けぶ》る、君きませというような文句であった。
庸三はもう二週間もそれを待ちかねていた。絶望的にもなっていた。いきなり彼女の故郷へ踏みこんでいって、町中《まちなか》に宿を取って、ひそかに動静を探ってみようかなぞとも考えたり、近所に住んでいる友人と一緒に、ある年取った坊さんの卜者《うらないしゃ》に占ってもらったりした。彼はずっと後にある若い易の研究者を、しばしば訪れたものだったが、その方により多くの客観性のあるのに興味がもてたところから、自身に易学の研究を思い立とうとしたことさえあったが、老法師のその場合の見方も外れてはいなかった。占いの好きなその友人も、何か新しい仕事に取りかかる時とか、または一般的な運命を知りたい場合に、東西の人相学などにも造詣《ぞうけい》のふかい易者に見てもらうのが長い習慣になっていた。支那出来の三世相《さんぜそう》の珍本も支那の古典なぞと一緒に、その座右にあった。
「梢を叩《たた》き出してもかまわない。おれが責任をもつ。」
そう言って庸三の子供たちを激励する彼ではあったが、反面では彼はまた庸三の温情ある聴《き》き役でもあった。
老法師は庸三たちの方へ、時々じろじろ白い眼を向けながら不信者への当てつけのような言葉を、他の人の身の上を説明している時に、口にするのであったが、順番が来て庸三が傍《そば》へ行くと、不幸者を劬《いた》わるような態度にかえって、叮嚀《ていねい》に水晶の珠《たま》を転《ころ》がし、数珠《じゅず》を繰るのであった。
「この人は、きっと貴方《あなた》の処《ところ》へ帰って来ます。慈父の手に縋《すが》るようにして帰って来ます。貴方がもし行くにしても、今は少し早い。月末ごろまで待っていなさるがいい。そのころには何かの知らせがある。」
卜者は言うのであった。
とにかく庸三は再び葉子の家を見舞うことにして返電をうった。そしてその翌日の晩、いくらかの土産《みやげ》をトランクに詰めて、上野を立った。実はどこか福島あたりの温泉まで葉子が出て来て、そこで庸三と落ち合う約束をしたので、彼は今そうやって汽車に乗ってみると、またしても彼女の家族や町の人たちに逢うのが、憂鬱《ゆううつ》であった。しかし翌日の午後駅へついてみると、葉子|姉妹《きょうだい》や弟たちも出迎えていて、初めての時と別に渝《かわ》りはなかった。彼は再び例の離れの一室に落ちついた。瑠美子のほかに、ちょうど継母《ままはは》の手から取り戻した二人の子供もいて、葉子は何かそわそわしていたが「ちょっと先生……」と言って、彼をさそい出すと、土間を渡って二階へ上がって行くので、彼も何の気なしについて上がった。
葉子は縁側の椅子《いす》を彼にすすめて、子供取り戻しの経緯《いきさつ》を話した。ここからそう遠くはない山手の町の実家へ引き揚げて来ている継母は、自分の子がもう二人もできていて、とかく葉子の子供たちに辛《つら》く当たるのであった。
「北海道時代に私が目をかけて使っていた女中なんですよ。その時分は子供にもよくしてくれて、醜い女ですけれど、忠実な女中だったんですのよ。松川は相当のものを預けて行ったものらしいんですの。上海《シャンハイ》で落ち着き次第、呼び寄せることになっているらしいんですけれど、あの子たちは食べものもろくに食べさせられなかったんですの。」
「君がつれて来たのか。」
「私が乗り込んでいって、談判しましたの。私には頭があがらないんですの。」
「それでこれから……。」
「先生にご迷惑かけませんわ。」
「…………。」
「先生怒らないでね。私あの人に逢ったの。」
庸三はぎょっとした。それが庸三も一度逢って知っている秋本のことであった。
「誰れに?」
「私には子供を育てて行くお金がいるんですもの。」
庸三はいきなり恐ろしい剣幕で、葉子の肩を両手で掴《つか》んで劇《はげ》しく揺すり、壁ぎわへ小突きまわすようにした。
「御免なさい、御免なさい。そんなに怒らないでよ。私いけない女?」
やがて庸三は離れた。そして椅子に腰かけた。
そうしている処へ、瑠美子が「まま、まま」と声かけながら段梯子《だんばしご》をあがって来た。
「瑠美ちゃん下へ行ってるのよ。」葉子は優しく言って、
「まま今おじちゃんにお話があるの。」
やがて葉子はそのことはけろりと忘れたように、話を転じた。妹が近々|許婚《いいなずけ》の人のところに嫁《とつ》ぐために、母に送られて台湾へ行くことになったことだの、母の帰るまでゆっくり逗留《とうりゅう》していてかまわないということだの――。
庸三は灰色の行く手を感じながらも、朗らかに話している葉子の前にいるということだけでも、瞬間心は恰《たの》しかった。すがすがしい海風のような感じであった。
九
庸三の今度の訪問は、滞在期間も前の時に比べてはるかに長かったし、双方親しみも加わったわけだが、その反面に双方が倦怠《けんたい》を感じたのも事実で、終《しま》いには何か居辛《いづら》いような気持もしたほど、周囲の雰囲気《ふんいき》に暗い雲が低迷していることも看逃《みのが》せないのであった。帰りの遅くなったのは、最近になってやっとはっきり自覚するようになった葉子の痔瘻《じろう》が急激に悪化して、ひりひり神経を刺して来る疼痛《とうつう》とともに、四十度以上もの熱に襲われたからで、彼はそれを見棄《みす》てて帰ることもできかね、つい憂鬱《ゆううつ》な日を一日々々と徒《いたず》らに送っていた。
最初着いた時分には、よく浜へも出てみたし、小舟で川の流れを下ったり、汽車で一二時間の美しい海岸へ、多勢《おおぜい》でピクニックに行ったりしたものであった。いろいろの人が持ち込んで来る色紙や絹地に、いやいやながら字を書いて暮らす日もあった。その人たちのなかには、廻船問屋《かいせんどんや》時代の番頭さんとか、葉子の家の田地を耕しているような親爺《おやじ》さんもあった。だだっ広い茶の間を駈《か》けて歩いているのは葉子の別れた良人《おっと》によく肖《に》ている、瑠美子の幼い妹や弟たちで、それに葉子の末の妹なども加わって、童謡の舞踊が初まることもあった。葉子はさも幸福そうに手拍子を取って謳《うた》っていた。子供の手を引いて盛り場の方へ夜店を見にいくこともあれば
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