ふれて口の端《は》へ出すこともあったし、一番彼女を愛しもし、甘やかしもしてくれたのは何といってもその独逸の貴族だったことも、時々|憶《おも》い出すものらしかったが、今は彼女もその愛の囚《とりこ》に似た生活から脱《のが》れ出た悦《よろこ》びで一杯であった。
「貴女の過去には随分いろいろのことがあったらしいね。」
「私?」
「新橋にいたことはないんか。」
「いました。あの時分文芸|倶楽部《クラブ》に花柳界の人の写真がよく出たでしょう。私のも大きく出ましたわ。――けどどうしてです。」
「何だか見たような気がするんだ。いつか新橋から汽車に乗った時ね、クションに坐りこんで、しきりに刺繍《ししゅう》をやっている芸者が三人いたことがあるんだ。その一人に君が似ているんだ。まだ若い時分……。」
「刺繍もやったことはありますけれど……。何せ、私のいた家《うち》の姐《ねえ》さんという人が、大変な人で、外国人の遺産が手に入って、すっかり財産家になってしまったんです。お正月のお座敷へ行くのに、正物《ほんもの》の小判や一朱金二朱金の裾模様《すそもよう》を着たというんでしたわ。それでお座敷から帰ると、夏なんか大した
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