の方昨日ちょっと見えましたよ、いつもの処《ところ》へ仕立物を取りにおいでになって……。」
「どこにいるでしょう。」
「さあ、それは知りませんですよ。」
いつもの仕立屋さんというのは、妻が長年仕立物を頼んでいた、近所の頭《かしら》のお神さんのことで、庸三も疳性《かんしょう》のそのお神さんの手に縫ったものを着つけると、誰の縫ったものでも、ぴたり気持に来ないのであった。葉子も二三枚そこで仕立てて腕のいいことを知っていた。
その話をきいているうちに、庸三はにわかに弱い心臓が止まるような感じだった。
「つい家《うち》の側まで来ていて……。」
それが一時に彼を絶望に突きやった。そしてふらふらとそこを出て来ると四辺《あたり》が急に暗くなって、子供の手にも支えきれず、酒屋の露地の石畳のところにぐんなり仆《たお》れてしまったのだった。脳貧血の発作は彼の少年期にもあったが年取ってからも歯の療治とか執筆に苦しむ時などに、起こりがちであった。病院の廊下で仆れたり巷《ちまた》の雑踏を耳にしながら、ややしばし路傍に横たわっていたりしたこともあった。しかし今彼はそう長くは仆れてもいなかった。夏の宵《よい》の街
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