た。
 夜になってから、彼は葉子の母に当てて問合せの電報を打ってみたが、
 ヨウコマダツカヌ
 という返電の来たのは、その夜も大分|更《ふ》けてからであった。

 ある晩庸三は子供の庸太郎と通りへ散歩に出た。彼はせっかく懐《ふとこ》ろへ飛びこんで来た小鳥を見失ったような気持で、それから先の、格別成算がついているわけでもないのに、ひたすら葉子の幻を探し求めてやまないのであった。庸三が今まで何のこともなく過ぎて来たのは、人間的の修養が積んでいるとか、理性的な反省があるからというのでは決してなかった。ただ生《お》い育って来た環境の貧弱さや、生まれつきの愚鈍と天分の薄さの痛ましい自覚に根ざしている臆病《おくびょう》と、そういった寂しい人生が、彼の日常を薄暗くしているにすぎなかった。出口を塞《ふさ》がれたような青春の情熱が燻《くすぶ》り、乏しい才能が徒《いたず》らに掘じくり返された。彼はいつとなし自身の足許《あしもと》ばかり見ているような人間になってしまった。悪戯《いたずら》な愛の女神が後《おく》れ走《ば》せにもその情熱を挑《か》き立て、悩ましい惑乱の火炎を吹きかけたのだったが、そうなると、彼に
前へ 次へ
全436ページ中81ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング